▼『評論家入門』小谷野敦

評論家入門―清貧でもいいから物書きになりたい人に (平凡社新書)

 ものを書く仕事がしたいという人が増えている.しかし,物書きは儲からない.本を出したって,売れやしない.批判されれば胃が痛み,論争をすれば神経がすり減る.それでも「書いて生きていきたい」と言うのなら,本書を読んで,活字の世界に浮上せよ!評論とは何か,その読み方,評論を書くにあたっての基本的な事柄を示し,物書きという仕事の苦しみと愉しみを説く.“有名評論採点”付き――.

 的欲求だけを糧としていきることを望んだ人種が,評論を生業とするにはかくも覚悟と自虐を備えたかという驚き.本書は一般向けの啓発書という触込みだが,著者の焦慮,羨望,嫉妬,思い違いの赤裸々な暴露が大半.さほど誇張は感じられないものの,「著作を一冊出せばバラ色の未来」「(大きく当てれば)原稿依頼・取材依頼が殺到するはず」.このような幻想を文筆稼業の志望者は持つなかれ,との主張は,苦い実体験を下敷きにしているにせよ凡眼.

 わざわざ注意を促すまでもなく,才識が拙劣というだけで淘汰されるのは当然.その事実に気付くまでの時間が長いほど,代償も大きかったというだけのことである.とりわけ評論,批評を職能とする立場は,実業とは異なる役割を果たすべきもの.いかなる機関をも代弁せず,頼まれもしないのに,社会全体にかかわるテーマについて筋の通った意見を言うために,自らの職業的能力を用いる――これが,ユルゲン・ハーバーマス(Jürgen Habermas)のいう「知識人」の目的合理性だった.

 本書で果敢であるのは,小林秀雄批判.「文藝評論家の代名詞」という見立ての下に,小谷野も小林の近代批評への影響力を認めざるを得ない.しかし小林の評は非論理的であるといい,評論は「せめて学問の八割」としての論証が必要であると考えられることから,梅原猛の小林批判を引用して粘着的にこき下ろす.だが批評活動とアカデミズムの境界をこのような一枚岩で前提することに,視野の狭さが感じられる.

 歌舞伎批評の渡辺保の言「歌舞伎は私にとってあきらかに研究すべきものであって,楽しむべきものではない」すら持ち出して,美学の論理的分析の正当性を訴え,小林の精神主義を辛辣に批判しているのが面白い.かつて渡辺は,歌舞伎の優美で嫋やかな「女形」を,江戸の感性が典雅な大和気質として貴んできたアルケオロジー(考古学)と視て考察する優れた論説を書いた.ここに「楽しみ」はなく,「分析」「研究」だけがあるのであろうか.知識人の一環としての評論家は,筆鋒をもって該当分野への発展性を刺激するが,これに優る職責はない.

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原題: 評論家入門―清貧でもいいから物書きになりたい人に

著者: 小谷野敦

ISBN: 4582852475

© 2004 平凡社