人類の歩みは絶えざる病との格闘であった.患者への温かい眼差しをもって治療に当たり,医療・医学の根源からの探究を志した病理学者が,人間の叡智を傾けた病気克服の道筋とそのドラマを追う.興味深い挿話,盛り沢山の引例,縦横に飛ぶ話柄.該博な知識と豊かな教養をもつ座談の名手が,洗練された名文で綴る人間味溢れる新鮮な医学史――. |
病理学を専門とした著者は,本書で医学は人間の「慰めと癒し」の技術であり,学問であると示す.該博な知識と豊富な教養で,西洋医学にとどまらず古代のメソポタミア,エジプト,ギリシア,インド,中国,日本と縦横に書き下ろしている.ここでの総説は,祈祷や呪術とも近しい位置にあった「慰めと癒し」の術が,医学として近現代的に受容されていった過程の面白さを提供してくれる.
医学はたんなる認識を超えた,悩み(パッショ: passio, patior 苦しむ,耐える,というラテン語の動詞)の学,そして癒し(メヂキィナ:medichina, medeor 癒す,というラテン語の動詞)の学だったのである.いま「医学」と呼ぶ学問・技術は,「悩み」と「癒し」のどちらを看板にするか,両方の可能性があった,と「病理学史」(1937)の著者クランバールはいう.結局,「癒し」(メディキナ)が含む「理想」が勝利して医学 medicine が成立し,「悩み」(パッショ)に含まれる「現実」は病理学(パトロギア pathology)が引き受けたのだが,どちらにとっても荷は重すぎたようである.「時に癒し,しばしば救い,つねに慰む」(Guerir quel-quefois, Soulager souvent, Consoler toujours).これはアメリカの結核療養所運動の先駆者トルードー(1848-1915)に,患者たちが捧げた感謝の言葉である
古代ギリシアの「自然治癒」,中世イスラムの『医学典範』,ルネサンスの解剖学や循環論,啓蒙主義時代の『医学論』――個体発生から系統発生まで関心の視野を広げなければ,病態とその対処は困難という著者の基本的立場が,医科学の方法論の歴史記述に携わっている.大学退官後は『フィシオログス』のドイツ語訳校訂本,『古代インドの苦行と癒し』『新約聖書とタルムードの医学』など古典テクストを精力的に翻訳した.
医学の叡智を根源から解明しようとした姿勢には,心服させられる.縦横無尽に専門/非専門(文学から記号論に及ぶ)文献が羅列されるが,本書は編集者の求めに応じて書き下ろされたにもかかわらず,その多様な文献を索引化して整理していない.かような編集者の怠慢に対しては,苦言を呈しておきたい.
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原題: 医学の歴史
著者: 梶田昭
ISBN: 4061596144
© 2003 講談社