▼『忘れられた日本人』宮本常一

忘れられた日本人 (岩波文庫)

 昭和十四年以来,日本全国をくまなく歩き,各地の民間伝承を克明に調査した著者が,文化を築き支えてきた伝承者=老人達がどのような環境に生きてきたかを,古老たち自身の語るライフストーリーをまじえて生き生きと描く.辺境の地で黙々と生きる日本人の存在を歴史の舞台に浮かびあがらせた宮本民俗学の代表作――.

 メーロス(Hómēros)の文体表現は口誦詩である特殊性をもつ,という説を出したミルマン・パリー(Milman Parry)は,文字を媒介としない口承と,文字の文化の明確な違いに気づいていた.口伝の「記憶できるような思考」とそれを可能にする表現様式は,一般的には哲学的,科学的な抽象思考の発生と導入により廃れていった,と見るべきかもしれない.一方,考えを巡らせて言い表される思考を記憶にとどめ,それを臨場感をもって再現する手続きは,その体験と記憶をもつ人にしか成しえない.このことを確信していたのが宮本常一で,彼は1939年以来,西日本をしらみつぶしに歩き,「土佐源治」「大阪泉南郡」「奈良生駒郡」「瀬戸内海沿岸」など各地部落に棲む古老による伝承を克明に調査した.

古文書の疑問,役場資料の中の疑問などを心の中において,次には村の古老にあう.はじめはそういう疑問をなげかけるが,あとはできるだけ自由にはなしてもらう.そこでは相手が何を問題にしているかがよくわかって来る.と同時に実にいろいろな事をおしえられる

 無字社会に生きる無名人のヒアリングのため,1,200軒以上の家に泊り,16万km以上を踏破.本書(初版)は,1960年という日本高度経済成長のさなか,いずれ語り部の物故とともに消滅していくであろう泥にまみれた「無字社会」への民俗学的情熱で編まれている.柳田国男が言及を避けてきた性風俗や被差別民に対して果敢に挑んだことから,民俗学を「内省の学」と考える柳田の学閥から,宮本は冷淡に扱われた.本書が主に西日本の村落の聞取りであるのは,当時の民俗学の研究対象がほとんど東日本に集中していたことへの反立でもあった.

一つの時代にあっても,地域によっていろいろの差があり,それをまた先進と後進という形で簡単に割り切ってはいけないのではないだろうか.またわれわれは,ともすると前代の世界や自分たちより下層の社会に生きる人々を卑小に見たがる傾向がつよい.それで一種の非痛感を持ちたがるものだが,御本人たちの立場や考え方に立って見ることも必要ではないかと思う

 辺境にひっそりと生きる無名老人の生涯,特に彼らが若かりし頃の夜這い,横恋慕,身分をこえた愛欲の契りなど――蚕が糸を吐くように口伝で描写される放蕩的なエピソードの数々――その土地の世界観への訴求力が凄まじい.パチパチと火花のはぜる囲炉裏,そこにかかる鉄瓶などが情景として浮かんでくるほど.そこで膝をつき合わせた宮本が深くうなずきながら話を引き出していき,最終的に各語り部の話が一人称でまとめ上げられている.豪農や士族との対立を超えた貧農の風習を,庶民の民族誌として採取し形態化した伝承"ライフヒストリー".ここに得られた哀歓こそ,日本列島の奥地に刻み込まれた忘れえない記憶である.

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原題: 忘れられた日本人

著者: 宮本常一

ISBN: 400331641X

© 1984 岩波書店