▼『同志社大学神学部』佐藤優

同志社大学神学部

 私にとって同志社大学神学部は,小宇宙だった.神学部と大学院の6年間で経験したことの中に,その後の人生でわたしが経験することになる出来事の原型が,文字通りすべて埋め込まれていた.書物だけから神学を学ぶことはできない.また,教会に通い信者として生活すると神学の勉強は,まったく位相を異にする.同時に純粋な学問としての神学も存在しない――.

 志社神学校,東京一致神学校,仙台神学校,関西学院神学部など国内神学校(後の各大学神学部)のうち,「無神論」を学びたいという奇特な学生を受け入れる学校は限られていた.著者が受験した1970年代後半,同志社だけが唯一,その度量を備えていたという.

 科学的社会主義創始者カール・マルクス(Karl H. Marx)や,ルートヴィヒ・アンドレアス・フォイエルバッハ(Ludwig Andreas Feuerbach)の無神論を学ぶため,著者は同志社大学神学部の門を叩いた.新保守主義とポスト・モダンの時代,南東に京都御所・北東に同志社をのぞむ烏丸今出川近辺に置かれた,神学部の自治組織“アザーワールド”.カルヴァン派プロテスタンティズムを基礎にキリスト教マルクス主義を考察して,「多元性と寛容の精神」を理解しようとする精神形成は,疑いなく情熱的な大学時代が核となっている.

 聖書の神学的解釈とマルクス経済学の宇野学派など,多元的世界観の理解,特に『資本論』の内在的論理を掴み取ろうとする議論に次ぐ議論.「絶対的なものはある,ただし,それは複数ある」.さらに,複数の絶対に正しいことは「権利的に同格」であると確信的に述べる.上流家庭の子弟に,下火となった学生運動に酔いしれる学生たちのもつ絶対的価値観の併存.その曼荼羅な学生模様を厳しく,パターナリスティックに指導する神学部教授たち.

 知的衝突からなるジアローグ(対話)は,神話と哲学との両面を併せもつ神学論争そのものを連想させる.すなわち神学の徒は,いかなる対象に向き合おうとも,教会や学問という「伝統」を重んじて,あらゆる認識を深めようとする激しさに貫かれた敬虔な態度.本書は,そのようなチャンネルを多元的に構築しようとした青春の記であり,個性は群を抜いている.

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原題: 同志社大学神学部

著者: 佐藤優

ISBN: 9784334977245

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