▼『サハラに死す』長尾三郎 編

サハラに死す―上温湯隆の一生 (講談社文庫)

 サハラ砂漠は東西7000キロ,横断するルートは皆無で,途切れ途切れにあるオアシスの点と点を結ぶしかない.この前人未到の熱砂の海に,一頭のラクダとともに単身で挑んだ上温湯青年.だが不幸にも,思い半ばに22歳の孤独な青春に幕を閉じた.苛酷な旅の中で,人間の極限を生き,凝視めた青春とは――.

 温湯隆(かみおんゆたかし)という珍しい名は,バガボンド――放浪者――として今も記憶される日本人である.1952年生まれの上温湯は,高校中退後,1970年にはアジア,ヨーロッパを経てアフリカへなど50か国に渡る世界放浪の旅に出た.世界一広大なサハラ砂漠は,当時は前人未踏と知られており,その熱砂の海にすっかり魅せられた上温湯は,人類史上初のラクダでのサハラ砂漠単独横断旅行を敢行した.モーリタニアの大西洋沿岸ヌアクショットからマリ,ニジェール,チャド,スーダンを経て,紅海の西側ポートスーダンまで7,000kmを踏破する挑戦.

一人,砂漠を見つめている.砂,砂,砂だけの世界,果てしない砂の海を,真っ青な大空がドームのように包む.空の青と白い砂が遠い地平線でつながり,太陽がギラつく.暑く,汗が流れ,俺は今孤独だ

 克服すべきは,50度の猛暑,襲ってくる砂嵐.昼の熱風,夜は厳しい寒気,サソリや毒ヘビ,略奪者(強盗)の危険,頭上を舞うハゲタカ――1974年の1度目の挑戦は,ラクダが衰弱死したため挫折.ヒッチハイクなどでナイジェリアのラゴスまで着くと,時事通信社のアルバイトや日本からの送金で資金を確保し,翌年にサハラ砂漠単独横断を再開するが,1975年5月29日マリの北部インゲルジガール地区(遊牧民のキャンプより約20km離れている地点)で渇死しているのが発見された.享年22.

 人間を拒絶するサハラ砂漠横断をモーリタニア人に話したところ,「現地の人間でも,そんなことをした男は誰一人いない.砂漠の神がそれを許さない.砂漠を甘くみたものは必ず復讐されるだけだ」と強く反対され,ニジェールの村人からは精神異常者扱いをされている.しかし,上温湯は青春のすべてをサハラ砂漠横断に懸けてはいたが,生きて帰ることを絶対の条件にしており,その後の人生は大検で有名私大に入学し,卒業後は国連職員となりアフリカ地域の担当になることを夢見ていた.彼にとっての最大の試練がサハラ砂漠に挑むことであって,それを回避したいかなる人生も,彼にとっては承服しかねる妥協の生き方としか見做せなかったのである.

砂漠の旅はいつも死と隣合せにある.過去三回のサハラ砂漠の縦断旅行でそれは身にしみてわかっている.しかし今,アフリカの砂漠の何かが僕の魂を激しく揺り動かしていた.サハラが僕を呼んでいる.生と死の極限状況のなかで,自分の青春を賭けてみたい,この世に生まれた自分の証しを凝視めて,その真実を探しあてたい,その思いが僕を駆りたてる

 無謀とみえた挑戦の末路は,無念というしかない結果ではあったが,上温湯は死を賭すことを繰返し日記に書いている.彼の母方の先祖は薩摩藩士であったという.このような人生を息子に歩ませた母の葛藤は,本書の終章「死への旅立ち」で痛切に描かれていて胸に迫る.幼いときから息子に言い聞かせていたという言葉通りに息子は生き,死んだ.自分の信念に生き,全青春を前人未踏のサハラ横断に燃焼させた息子の心だけは母として理解してあげよう――これは,山本常朝『葉隠』にいう「岩図に迦れて生たらば,腰抜け也.此境危ふき也」.図に外れて生き延びるは腰抜けである.この境界こそが危ないのだ.

人間の価値はその死に際で決まる.死ぬ瞬間に往生際の悪い人はとるにたらない.潔く死ぬように心にとめておきなさい

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原題: サハラに死す―上温湯隆の一生

著者: 長尾三郎

ISBN: 4061840231

© 1987 講談社