「昔,文字は本当に生きていたのじゃないかと思わないかい」――始皇帝の陵墓づくりに始まり,道教,仏教,分子生物学,情報科学を縦横に,変化を続ける「文字」を主役として繰り広げられる異色の連作集.文字を闘わせる遊戯に隠された謎,連続殺「字」事件の奇妙な結末,本文から脱出し短編間を渡り歩くルビの旅――. |
太古の漢字の草創期から未来世界まで12の連作.「文字とは,一文字一文字が神性を帯び,奇瑞を記し,凶兆を知り,天を動かすためのものである」――表題作では,始皇帝の陵墓から未知の漢字を記した竹簡が発掘され,発見された3万以上の漢字のすべてに「人偏(にんべん)」がついていた.それは2000年前,大量の兵馬俑に個性を付すための創意工夫であった.
甲骨文,金文を解読し,中国最古の字書『説文解字』の研究を手がけた白川静は,「民族とその言葉が滅びなくとも,文字はその文化の敗北によって滅びる」と書いた.また,"文字の霊"が人間に災厄をもたらすことを考察した結果,文字の精霊の逆鱗に触れ粘土板で圧死したアッシリアの老儒を描いた中島敦「文字禍」を彷彿させる本書は,象形・指事・形声・会意・仮借などの成り立ちを起源とする漢字の禍ではなく「渦」.
すべての言語を表現するための単一規格「ユニコード」への懐疑として,文字のもちうる「繁殖力」や「発光する漢字」「意思をもったルビ」など,シャーマニズムとアノミズムに対する原理・論理・造詣の神話的な紐帯が感じられる.ユニコードが決められた時代には,禁則処理がおのずと決まる.しかし,その虚実は,漢字のゲシュタルト的な組成の神秘を侵すことはできないのだ.
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原題: 文字渦
著者: 円城塔
ISBN: 4101257728
© 2021 新潮社