▼『資本主義と闘った男』佐々木実

資本主義と闘った男 宇沢弘文と経済学の世界

 「資本主義の不安定さを数理経済学で証明する」.今から50年以上も前,優れた論文の数々で,世界を驚かせた日本人経済学者がいた.宇沢弘文―その生涯は「人々が平和に暮らせる世界」の追求に捧げられ,行き過ぎた市場原理主義を乗り越えるための「次」を考え続けた信念の人だった.大宅賞作家が描く「ノーベル経済学賞にもっとも近かった日本人」86年の激動の生涯――.

 済学には,「エスプリ・ドゥ・コール」(集団としての一体感と目的の共有)が意図的に作られやすい面がある.宇沢弘文の経済理論の特質を示す「社会的共通資本」は,大気,森林,河川,水,土壌,野生生物などの「環境」,道路,上下水道,住居,ガス,交通通信網など「社会的インフラ」,司法,金融,教育,医療,福祉,年金など「制度資本」の整備を訴えるだけのものではない.

 「民主的過程を経て経済的社会的条件」が展開され,「最適な経済制度」を求める社会総体を論じるものであり,制度学派の創始者ソースティン・ヴェブレン(Thorstein Bunde Veblen)の経済制度の進化過程を理論的背景とする.本書は,前著「市場と権力―『改革』に憑かれた経済学者の肖像」で市場原理主義に魂を売り渡した"怪人物"(マネタリスト)の取材過程で,必然的に辿りついた泰斗からの薫陶を具現化した評伝である.

 経済学のエスプリ・ドゥ・コールを巧みに擬装するマネタリストたちは,市場原理主義の伝道師としてゴスペルを流し続けてきた.それを強く批判し警鐘を鳴らす宇沢理論は,新古典派理論が強行してきた「人間的側面の捨象」を戒め,民主的過程を経て経済的社会的条件を構築するパラダイムとなる「危機の経済学」.数理経済学を経て均衡理論や限界分析を用い,社会制度の最適性を論じる現代的意義は高い.もっとも,宇沢は高祖であって,社会的共通資本理論の進展はコモンズ研究に比べると鈍いようだ.

 オープンアクセスを前提とする公共財は,学際的であっても進化過程の理論化は困難を極める.その突破口が見出されない限り,理論は衰弱していき,いずれひとつの社会思想にシフトしていく可能性がある.本書は,宇沢理論の誕生から遍歴まで丹念に論じた評伝として労作だが,最終章のタイトル「未完の思想 Liberalism(リベラリズム)」が示すような発展性――宇沢の思い描いた経済的社会的条件の充実と持続可能性――それが果たして社会装置として実現されうるものか,依然として不安を残す.ケインジアンを駆逐したシカゴ学派へのクリティカルで期待値の高い反証モデルや理論はまだない.

++++++++++++++++++++++++++++++

原題: 資本主義と闘った男―宇沢弘文と経済学の世界

著者: 佐々木実

ISBN: 4065133106

© 2019 講談社