▼『サロメ』オスカー・ワイルド

サロメ (岩波文庫)

 妖しい美しさで王エロドの心を奪ってはなさない王女サロメ.月光のもとでの宴の席上,7つのヴェイルの踊りとひきかえに,預言者カナーンの生首を所望する.幻想の怪奇と文章の豊麗さで知られる世紀末文学の傑作.R.シュトラウスのオペラ「サロメ」の原典にもなった.幻想的な美しさで話題を呼んだビアズレーの挿画をすべて収録――.

 リラヤ太守ヘロデ・アンティパス(Herod Antipas)は,義理の娘サロメ(Salom)の美貌と魅惑の踊りに引き付けられる.目蓋を震わせ,土竜のような目で淫猥な視線を送ってくる父王を,サロメは嫌悪した.幽閉の預言者カナーン(John)の存在を知り,禁を破って彼を目撃したサロメは,ヨカナーンを激しく欲する.だが,ヘロデが異母兄の妻と婚姻した「不義」をヨカナーンは詰(なじ)り,サロメを拒絶する.王妃エロディアス(Herodias)の教唆により,サロメは《七つのベールの踊り》と引き換えに,ヨカナーンの生首を求めた.

 その唇は,象牙の塔に施した緋色の縞, 象牙の刃を入れた石榴の実.ツロの庭に咲く薔薇より赤い石榴の花にも優る艶の赤.銀の皿の上に乗せられ,ものいわぬヨカナーンの唇に,サロメは“くちづけ”して最高潮を迎える.本書は,マタイによる福音書(第14章第3-12節),マルコによる福音書(第6章14-29節)を下敷きにするが,オスカー・ワイルド(Oscar Fingal O'Flahertie Wills Wilde)はフランス語で一幕劇に仕立てた.

あゝ!ヨカナーン,ヨカナーン,お前ひとりなのだよ,あたしが恋した男は.ほかの男など,みんなあたしには厭はしい.でも,お前だけは綺麗だった.…この世にお前の体ほど白いものはなかった.お前の髪ほど黒いものはなかった.この世のどこにもお前の口ほど赤いものはなかった.お前の声は,不思議な馨りをふりまく香炉,そしてお前を見つめてゐると不思議な楽の音がきこえてきたのに!あゝ!どうしてお前はあたしを見なかつたのだい,ヨカナーン?手のかげに,呪ひのかげに,お前はその顔を隠してしまつた.神を見ようとする者の目隠しで,その眼を覆うてしまったのだ.たしかに,お前はそれを見た,お前の神を,ヨカナーン,でも,あたしを,このあたしを……お前はたうとう見てはくれなかったのだね

 マタイ・マルコ両福音書で,洗礼者ヨハネ(ヨカナーン)は,サロメの求愛を拒んで殺されたわけではない.殺すことで意中の相手を我がものとするファム・ファタールを,ワイルドが幻想的な官能美で造詣したのである.最高潮を迎えたサロメの場面を,オーブリー・ビアズリー(Aubrey Vincent Beardsley)は描き,総合芸術誌「ステューディオ誌」の創刊号に掲載された.ビアズリーによる世紀末の独特で繊細な退廃美と怪奇美のイメージと,『サロメ』はもはや一体化している.

あゝ!あたしはたうとうお前の口に口づけしたよ,ヨカナーン,お前の口に口づけしたよ.お前の脣はにがい味がする.血の味なのかい,これは?… いゝえ,さうではなうて,多分それは恋の味なのだよ

 病質的な感受性で登場人物の心理まで分け入るような視覚的秩序が,本書の挿画からは確かに認められる.ビアズリーの表現したサロメの美は,ワイルドの本文にあるサロメのイメージとは微妙に違いがある.いわば,退廃と狂気がより鮮鋭に増幅された感じか.1891年にパリで出版された本書は,ワイルドの同性愛のパートナー,アルフレッド・ダグラス(Lord Alfred Bruce Douglas)により1894年に英訳された.男色のかどで逮捕されたワイルドは,ドレスデンオペラ座で初演された《サロメ》を見ることなく,世を去った.

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Title: SALOME

Author: Oscar Wilde

ISBN: 4003224523

© 2000 岩波書店