▼『クオ・ワディス』ヘンリク・シェンキェーヴィチ

クオ・ワディス〈上〉 (岩波文庫)

 暴君ネロの気紛れさえゲームのように楽しむ,美と快楽の信奉者ペトロニウス.一本気なその甥ウィニキウスは,リギ族の王女への恋からキリスト教に心を開き,やがてそのことがペトロニウスの運命をも変えていく.爛熟期の帝政ローマを舞台に,愛と暴力,信仰と頽廃が入り乱れて織りなす壮大な歴史ロマン――.

 熟と退廃の都ローマでは,暴君ネロ(Nero Claudius Caesar Augustus Germanicus)による圧政の下,キリスト教徒の迫害が猛威をふるう.ネロは奸臣の讒言を聞き入れ,ローマ市闘技場から発した大火の責をキリスト教徒らに帰し,彼らを火刑,十字架刑に処し,狂犬に襲わせた.紀元1世紀ローマのヘレニズムとヘブライズムの拮抗を背景に,黎明期から続くキリスト教の「受難」をヘンリク・シェンキェーヴィチ(Henryk Sienkiewicz)は壮絶に描写した.その迫害の残虐さ,ローマ大火の凄惨な様子は,地獄絵巻のごとき迫力で息を詰まらせる.

 貴族階級の美青年ウィニキウスと,キリスト教徒でリギ族王女リギアの愛慕.リギアの召使ウルススの怪力無双と忠誠心.シェンキェーヴィチ歴史小説は,19世紀末に3つの帝国(ロシア,プロシアオーストリア)に割譲,地図から姿を消していたポーランドの民族独立運動に灯火を与えたとされる.芸術と作詩のためには,市民の殺戮も厭わないネロに迫害される信仰者の敬虔な美徳は,二使徒パウロとペテロ)のキリスト教伝道の精神に顕れる.

 ネロの暴虐は,ローマを壊滅させた下手人を求めて怒るローマ市民を結集させる.“クオ・ワディス”は,新約聖書の『ヨハネによる福音書』13章36節の引用「クオ・ワディス・ドミネ?(主よ,どこへ向かうのですか)」.ローマを去ろうとしたペテロは,路上で主イエスに出会う奇蹟を得る.本書では「汝が見捨つる民のため,我再び十字架にかけられん」とイエスは答えたとされるが,福音書では「あなたはわたしの行くところに,今はついて来ることはできない.しかし,あとになってから,ついて来ることになろう」となっている(Japan Bible Society訳).

 使徒ペテロとパウロの殉教を象徴づける作中のクライマックス.聖人の戒めに心身を捧げる信徒らの姿は,かように美化され描かれている.実証主義的な社会時評を書くことで,文名を挙げていったシェンキェーヴィチだが,1905年のノーベル文学賞受賞理由は,「叙事詩作家としての顕著な功績に対して」ということであった.ポーランド民族に内在する愛国心を鼓舞する叙事詩を紡ぎ出した本書は,発表と同時に熱狂的歓迎を受け,27カ国語に翻訳された.

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Title: QUO VADIS

Author: Henryk Sienkiewicz

ISBN: 4003277015, 4003277023, 4003277031

© 2007 岩波書店