▼『十八世紀ヨーロッパ監獄事情』ジョン・ハワード

十八世紀ヨーロッパ監獄事情 (岩波文庫)

 自らの拘禁経験と博愛主義の精神から,延べ六回にわたりヨーロッパ十一カ国の監獄を歴訪したジョン・ハワード(1726‐90)は,徹底した調査と観察にもとづいて,監獄の現状を記し監獄改革を提言する報告書をまとめた.本書は,その一部を訳出したものであるが,伝聞を排し,直接見たことだけを記述した社会史の一級史料である――.

 8世紀末から19世紀前半にかけて,イギリスではジェレミ・ベンサムJeremy Bentham)を代表とする功利主義者,あるいは福音主義者らが奴隷貿易の廃止,衛生改革を含む政治改革を推進した.社会改良改革には,当然ながら監獄改革運動も含まれていた.監獄規律の改善については,チャールズ・ディケンズ(Charles John Huffam Dickens)が強い関心を寄せていた.1830年代には,ディケンズは頻繁に監獄を訪問し,コールドバス・フィールズ監獄所長から監獄の実態のレクチャーを幾度か受けている.ベッドフォードシャー州長官ジョン・ハワード(John Howard)は,ベンサムディケンズに先駆けて,監獄改革に努めた人物である.メソジスト派に傾き,七年戦争勃発のためにフランスの捕虜となった経験から,1773年以降にヨーロッパ各地の監獄を精力的に視察した.

 囚人の置かれた劣悪すぎる環境,獄卒の堕落と不道徳を非難する報告書をまとめあげ,本書はその一部の訳出である.いわゆる書斎派のアプローチではなく,徹底的な調査と観察にもとづく記録により,ハワードは監獄の衛生面と債務囚の処遇について改革の重点を置いている.監獄だけでなく懲治院も見聞すると,日が射さず,窓もない地下室に代表されるような風通しが悪い空間では「監獄熱」が猛威をふるっていた.そこから天然痘や伝染病が蔓延して,多数の犠牲者が出ていることを報告している.どこの地域でも,獄卒や裁判所書記官へ賄賂を渡せない者――陪審が無罪の評決をした人,大陪審が起訴に値するほどの罪を認めなかった者,あるいは訴追した者など――は,すでに何ヵ月間も拘束されているにもかかわらず,賄賂を渡せないばかりに収容期間が長引いており,罪人ばかりか債務囚までも大量に苦しめられていた.

 汚職を拭い去るために,ハワードは看守に俸給をとらせることを州治安判事たちに上申すると,判事たちは「他の州で前例があれば前向きに検討する」と答えた.各地を調べた結果,どこの州でも判事たちは同じ返答を彼に伝えるばかりだったが,1774年3月にハワードは議会で証言し,庶民院から感謝をおくられている.同じ1774年,かのバスティーユ監獄について,その実態を記した元囚人の冊子が出版された.フランス政府はすぐに出版禁止の措置をとったが,ハワードはこれを入手し,「第4章 諸外国の監獄事情」(フランス)で紹介している.この監獄は,城塞ともいうべき堅牢を誇り,跳ね橋を渡って大きな門をいくつか通過しなければ,頑強な柵に守られた庭に位置する6つの石造りの塔に辿りつくことはできなかった.その石材は,厚さ10フィートもある「フリー・ストーン」であって,庭の突き当りに大営舎がある,という詳細な描写で説明されている.

 どこの国でも,監獄の実態を外部の者に知られることを嫌う.先々の地で有力者の理解を得て,視察を敢行したとはいえ,ハワードはどこの土地でも「歓迎されざる改革者」だった.各地の通行を拒否されたり,旅行仲間の密告であやうく逮捕されかけたことすらあったという.彼が視察旅行をした距離は,本人のメモ記録では4万2,000マイルに及んでいる.その行動力と本書の刊行がなければ,1835年監獄法の成立で恣意的・放任的な規律,不潔と腐敗の横行していた監獄事情に対する監獄規律論は,実態とはかけ離れたものになってしまったであろう.後年ベンサムの唱えた「パノプティコン」「望ましい監獄制度を支える原則――公開性・虐待防止・監察制度――」への影響も,無視できないことは明らかなのである.もともと病弱であったハワードは,視察旅行先で避病院患者の熱病に感染し,クリミアのヘルソンで死んだ.1866年,人道主義を是とするハワード協会が設立され,イギリス獄制改革に貢献した.

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Title: THE STATE OF THE PRISONS. 3rd ed.

Author: John Howard

ISBN: 4003346513

© 1994 岩波書店