▼『大草原に還る日』王興東,王浙浜

大草原に還る日 (NHKライブラリー)

 民族の違いを超えた愛とロマン.八歳の日本の少女が,戦争孤児として漢民族そして蒙古族の養父母に育てられる.草原の地で教師として理想に燃え,恋愛や友情・家族の愛に支えられ,しだいに中国の人々に受け入れられる.実兄の努力で日本の家族が見つかり,帰国するが,彼女にはなすすべもない空疎な日々が続く.やがて,草原の地で自分を待つ子供たちのもとへ決然として戻って行く――.

 国東北部(旧満州)に,日本から「満蒙開拓団」が送り出されたのは1936年である.その数は27万人にまで膨れ上がった.旧ソ連国境に隣接する地域に配置された開拓団とその家族であったが,1945年のソ連参戦にあわせて青年・壮年男子が動員され,老人と女性,子どもが後に残された.国策に翻弄された彼らに,ソ連兵と一部中国人たちが虐殺と暴行を加えた.しかし1981年3月,孤児47人が「中国残留孤児」として日本に招かれると,世論は高まり,肉親さがしが行われた.

 厚生省には“中国残留日本人孤児問題懇談会”が設置され,当時の首相は「孤児を今日まで育ててくれた中国人養父母と中国政府に謝意を表したい」と述べた.旧満州に取り残された8歳の日本人少女竹田繁子.戦争孤児となった彼女は,漢民族の夫婦に引き取られ,さらに蒙古族の養父母に育てられる.中国名を2つ名乗ることになったが,日本名「タケダシゲコ」を忘れ去ることはできなかった.成長後,教育者として自立した彼女は,実兄の努力で日本への帰還を果たす.しかし,自分を受け入れてくれる「母国」とは,中国の大草原であることに気づいて日本を後にする決心を固める.

 大陸に置き去りにされ「孤児」となった彼らは,1946年時点で約1万4,000人が戦時死亡と「宣告」されていたが,中国人養父母に引き取られ,生き延びることができた.その数は推測で1万人前後である.徳島県で生まれ,2歳半で旧満州へ移住した女性が繁子のモデルとなっている.「日中友好の架け橋になる」と中国に還ってから,庫倫旗・額勒順地区で植林活動を開始し,彼女を通じて教育面など日本の支援が行われた例となった.「善意」の中国の人々が,悪辣な中国人から繁子を保護,かつ,2つの民族がそれぞれ,繁子に中国の娘としての「模範」を期待し彼女もそれに応える展開が興味深い.

 残留孤児は,中国では「日本鬼子」とののしられ,日本では「中国人」といわれ偏見と差別にさらされてきた.日中国交が回復してから9年も経過してから行われた残留孤児調査も,完結していない.未だ身元が判明していない約1,500名は,いずれも高齢化しており,日本政府に対する訴訟は20年の請求期限(除斥期間)が過ぎたとして棄却された.永住帰国した孤児は2,557人に上り,公開調査で孤児と認定された人は、2012年が最後となっている.

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Title: 大草原に還る日

Author: 王興東, 王浙浜

ISBN: 414085006X

© 1997 日本放送出版協会