▼『子供たちは森に消えた』ロバート・カレン

子供たちは森に消えた (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

 ソ連邦崩壊をひかえた1982年,ロシア南部の森のなかで,凌辱の跡もあらわな少女の惨死体が発見された…それがすべての始まりだった.森に誘いこまれ殺される子供が続出し,事件を担当するブラコフ捜査官は,精神科医の協力を得て恐るべき連続殺人犯を追う.そしてついに逮捕された男,チカチーロには多重人格者の疑いが!?8年間に50人の少年少女の命を奪った異常殺人者の素顔を暴く,驚愕の犯罪心理ノンフィクション――.

 ョードル・ドストエフスキー(Фёдор Михайлович Достоевский)『罪と罰』で,ラスコーリニコフに自白の決意を固めさせるまでの苦悩と,その構成の綿密さは,「罰」「懲戒」に対するロシア人の信念にあると本書に述べられている.共産主義体制と直接的関わりのない「国柄」と,情報公開(グラスノスチ)以前と以後のソビエト社会では,個人を狙った犯罪の報道姿勢は,まったく異なっていた.それらの"狭間"に,少年少女56人を惨殺した希代の犯罪者アンドレイ・チカチーロ(Андрей Романович Чикати́ло)は潜伏していた.それを許す状況が,ソ連体制が崩壊する過渡期に作り出されていた.

 1982年6月,ロシア南部ロストフの森深く,凌辱され両目をえぐり取られた少女の死体が発見された.ソビエト当局主任捜査官ブラコフと精神科医らの8年にわたる追跡が始まる.恐るべき犯行は数を重ね,50人を超す少年少女が森の中に消えた.ついに逮捕された多重人格殺人者チカチーロは,取調べで恐るべき自供を始める.その戦慄の内容は,ブラコフらの想定をはるかに超えていた.ロシアではKGBの圧力もあり,猟奇的殺人は資本主義国にしか存在しない,というプロパガンダが流布されていた.1936年,スターリン政権のさなかに生まれたチカチーロの犯罪を擁護したのは,「正常」な体制と信じられた国情そのものであった.民警(ソビエト文民警察組織)を翻弄し続けたのは,そればかりではない.

 DNA鑑定が技術化されていない時代,当局法医学局は,殺害現場に残されていた体液からAB型の分泌物が検出された根拠にもとづき,この血液型の容疑者を捜査する.チカチーロの血液型はA型であった.血液と体液の血液型が一致しない「非分泌者」という体質であったことが,1984年に一度逮捕されておきながら,一連の殺人容疑での逮捕の決め手を長らく撹乱させていた.1988年のモスクワ保健省法医学局生物学研究所のレポートで,遺留された体液の型と血液型が一致しない例があると警告されるまで,チカチーロ再逮捕の機運は高まってこなかった.その間,少なく見積もっても犠牲者の数は56人にまで膨れ上がっていたのである.本書には,チカチーロの写真が何枚か収められている.

 文学を教える教師の経歴をもつチカチーロは,ある写真では穏やかで内向的な印象を与える.だが,公判の場で檻――被害者遺族の報復からチカチーロを守るための措置――に収容された彼の風貌は,ドス黒い邪気を放っている.抑えきれない殺人衝動に向うにつれ,殺人鬼に化生し,快楽が満たされると再び温厚さをまとい,これを繰り返していったのであろう.凶悪犯罪は社会主義国家ではなくブルジョワ国家に特有のもの,と欺瞞を流布したソビエト社会の膝下に,悪鬼チカチーロは生息していた.それに気付かず,市民は警戒心をさほど持つことなく生活させられていた.1994年2月14日,チカチーロは銃殺刑に処された.結局,チカチーロによる8年に及ぶ大量殺人とは,国家を挙げての秘密主義に培養されたマーダー・ケースであった.

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Title: THE KILLER DEPARTMENT

Author: Robert Cullen

ISBN: 4150502188

© 1997 早川書房