▼『三島由紀夫 十代書簡集』三島由紀夫

三島由紀夫 十代書簡集 (新潮文庫)

 「合戦の名乗り合いとでもいう意味で,私の略歴をおしらせします」.三島は学習院時代,文芸部の先輩・東文彦に宛て多数の手紙を書き送った.「花ざかりの森」を執筆中だった三島は創作の悩みを書き連ね,東と切磋琢磨し合う.加えて戦時下の話題や鋭い社会批判を真摯に綴る三島.しかし,書簡を通しての交流は,東の死をもって終わる.天才の刻印の押された,瞠目すべき書簡集――.

 文彦は,18歳で学習院中等科を首席で卒業,創作においては室生犀星堀辰雄の指導を受け,作品集『浅間』で異彩を放った.天賦の才に恵まれていた東だが,幼少より病弱であること甚だしく,結核のため23歳で夭折している.学習院時代,文芸部の5年後輩に平岡公威がいた.川路柳虹に師事し『15歳詩集』を出したその年に,小説「花ざかりの森」を起稿した平岡は,東より送付されてきた書簡に感銘を受け,ここから両者の文通が開始される.

堀(辰雄)氏は現在の青年作家のうちで,時局を語らない唯一の人ともいへませうが,なんといつたつてお先走りの文報連中より,大東亜大会などで大獅子を買って出る白痴連中より,数千倍の詩人,したがつて数千倍の日本人と思ひます.差し出がましいやうで恐縮ですが,貴下もどうか堀氏の御心構でやっていただきたうございます.そしてその究極に花咲く文学こそ,真に日本をして日本たらしめる,真の日本文学であらうことを信じぬわけにはまゐりません

 翌年「花ざかりの森」連載時には,平岡は“三島由紀夫”を筆名とし,これは生涯のものとなった.本書は,病床の東に対する十代の三島の書簡が集約されたもの.1942年7月から1943年6月まで2人は協同で同人誌『赤絵』を刊行している.東は「三島文学」の最初の理解者であり,批評者であった.三島の流麗な文体の原型を思わせる雰囲気が書簡には溢れており,そこへ雅兄への敬慕が籠められている.文豪の若かりし頃の「黄金時代」というだけに留まらない,絢爛たる雅音が書簡から流れ出してくる.

 戦時の統制で古今東西の文学が入手できないことを嘆き,2人は創作の歓びを分かち合う.1943年の東の死後,10月11日に三島は弔詞を書いている(本書収録).そこでの悲嘆は,三島にとって世界のいくらかが破綻してしまったのではないかと思えるほどに,文章が慟哭している.本書では『川端康成三島由紀夫往復書簡』と異なって,文通相手・東からの返信は一通も掲載されていない.それに対する不満の声も挙がっているようだが,満足した立場に卑見ながら同調したい.

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原題: 三島由紀夫 十代書簡集

著者: 三島由紀夫

ISBN: 4101050384

© 2002 新潮社