▼『美味礼讃』ブリア・サヴァラン

美味礼讃 上 (ワイド版岩波文庫 258)

 本書の著者ブリア‐サヴァランという人は世にも名だたる食通だったが,これが又,ただの美食家とはわけが違う.あらゆる学問芸術に通ぜざるなく,その上,詩も作曲も,時には粋な小唄の一つも歌おうという,こういう人物が学殖蘊蓄を傾けて語る “料理の芸術”と言えば,この名著の内容をほぼ御想像いただけるだろう――.

 ランス北部ノルマンディ地方原産のチーズ"ブリア・サヴァラン"は,1890年頃フォルジュレ・ゾー近郊に住むドゥブック家により生産されるようになった.「チーズのフォアグラ」ともいわれる濃厚なクリームと脂肪分が溶け合い,白いペーストはフレッシュでありながら熟成がすすむと芳醇さが高まる.この商品名は,食や食文化に関する総合的学問体系――ガストロノミー――稀代の実践者ブリア=サヴァラン(Jean Anthelme Brillat-Savarin)から取られた.サヴァランは,「チーズのないディナーは口ひげのない男」「チーズのないデザートは片目のない美女と同じ」と格言を残している.

君が何を食べているのかを私に言ってくれたまえ.そうすれば,私は,君がどのような人であるのかを,君に言ってあげよう

 本書は,ガストロノミーの代名詞とも解釈される食の解剖学的,組織学的現象を強調しようとする.料理にまつわる発見,飲食,研究,理解,執筆,その他の体験に携わる解説のために,味覚を中心とする感覚器,消化を司る器官のそれぞれの役割を科学的に検証している.第一部はガストロノミーに関するアフォリズムや紹介から始まり,感覚に関する事実,パリでのギリシャ風ガストロノミーの女神に捧げる神殿とその饗宴(シュンポシオン)が考察される.第二部は,食の解剖学的,組織学的な蘊蓄とコレクション――オムレツ,フォンデュの作法,ブイヨン,ポタージュの作り方,トリュフ,アスパラガス,雉や七面鳥の料理,雉が熟すタイミング,食卓が丸くなりすぎる罠など――贅を尽くした美食料理を礼賛するだけではない.

会食に招く人々はお互いによく知り合っていて,常に会話に参加できるように12人を超えないこと,男子は機知豊かで,しかも出過ぎず,女子はコケットに過ぎざる程度に愛嬌のある人を選ぶ,料理は滋味豊かなものを選ぶが,皿数は多過ぎぬように,料理の順序は実質的なものから軽いものへ,酒は吟味して,コーヒーは熱く,茶は濃すぎぬように…中略…だれかを食事に招くということは,その人が自分の家にいる間,その幸福を引き受けるということである

 貴族社会とブルジョア社会を描き,そのコード(「瞑想」)を通じてパリの食通たちに捧げられる理論的,歴史的,時事的著述である.サヴァランは美食と政治を結びつけ,食卓の芸術がいかに影響力を持つかを説く.権力者,知恵者,影響力のある人物は「美食の規範」「アテネの優雅さ」「ローマの贅沢」「フランスの繊細さ」を組み合わせた社会的繊細さをもつと論じる.サヴァランは,法曹,弁護士を生業とする家系の出で弁護士を開業,フランス革命直前の1789年代議士として三部会に席を連ねる.

食卓の快楽は,全ての年齢,全ての身分,全ての国,全ての日のものである.その快楽は,他の全ての快楽と共にあることが可能であり,そして,他の全ての快楽が無くなってしまった後でも,最後まで存在し続けて,その,他の全ての快楽が無くなってしまったことを慰めてくれるのである

 民事裁判所所長・大審院判事を歴任し,またベレ市長にも選ばれたが,革命政府によって自身が賞金首となったことを知ると,ドイツ,スイスを経てオランダ,さらにアメリカ東部に亡命した.ケルンでは料理屋の手伝い,ニューヨークではフランス語教師,オーケストラのバイオリン教師となってフィラデルフィアハートフォードに移った.96年執政政府下のフランスにもどり,司法官の職を得る.やがて大審院判事に復職,高級官吏として悠々たる晩年を送った.生涯独身を通したが,恋愛に縁がなかったわけではなく,第六感に属するものと考えていたという.

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原題: PHYSIOLOGIE DU GOUT

著者: Jean Anthelme Brillat-Savarin

ISBN: 4000072587, 4000072595

© 2005 岩波書店