▼『蠅の王』ウィリアム・ゴールディング

蠅の王 (新潮文庫)

 未来における大戦のさなか,イギリスから疎開する少年たちの乗っていた飛行機が攻撃をうけ,南太平洋の孤島に不時着した.大人のいない世界で,彼らは隊長を選び,平和な秩序だった生活を送るが,しだいに,心に巣食う獣性にめざめ,激しい内部対立から殺伐で陰惨な闘争へと駆りたてられてゆく‥‥少年漂流物語の形式をとりながら,人間のあり方を鋭く追究した問題作――.

 約聖書列王紀,新約聖書マタイ伝に登場する異教神ベルゼブブ(Beelzebub,Baal-Zebub)は,「7つの大罪」では暴食,羨望を象徴し,犯罪者を作り,伝染病やスパイを生み出す力をもつという.創世記戦争では,虫や鳥など飛翔する生物を率い,天子軍と苛烈な空中戦を繰り広げたが,敗北してMercury(水星)に逃亡した.以後,水星を陶冶する象徴となっている.新約聖書では悪魔とされるようになり,悪霊のかしらベルゼブル (Βεελζεβούλ)とまで呼ばれるようになった.フランス国王の最初の顧問官ロアイエによれば,悪魔憑きにかかった婦人の悪魔祓いをした所,口から蠅の姿をしたベルゼブブが飛び出した.ベルゼブブは地獄界を牛耳る「蠅魔」の首魁で,他の蠅魔どもを産んだという.

 映画「グリーン・マイル」(1999)では,奇跡の力をもつ黒人死刑囚ジョン・コーフィがイエス・キリスト(Jesus Christ)と同じイニシアルであること,どちらも被差別者であり,無実の罪で処刑される点などから両者には同質性があった.コーフィは負のエネルギーを体内に吸い込み,他者の病を浄化していく.負のエネルギーを苦しみながら放出するとき,それは無数の「蠅」となって彼の口から吐き出される.蠅は不浄のシンボルとしてキリスト教圏では扱われ続けている.ベルゼブブは「唆す者」として忌み嫌われる記述が聖書には随所に見られる.「マタイ伝」12章24節には「ファリサイ派の人々はこれを聞いて,『悪魔の頭ベルゼブルによるのでなければ,この人に悪魔を追い出せるはずがない』と言った」とあり,さらに『マルコ伝』3章22節には「『イエスベルゼブルにとりつかれている』と言い,また『悪霊の頭によって悪霊を追い出すのだ』とも言った」とある.

 ウィリアム・ゴールディング(Wiliam Gerald Golding)は,近未来の大戦の中,被弾し不時着した孤島で少年たちが共同生活を送るうちに,内部対立から本能に眠る根源悪に目覚め,闘争へと駆り立てられる様相を描いた.ジュール・ヴェルヌ(Jules Verne)『十五少年漂流記』と同様の設定でありながら,ヴェルヌが少年たちの団結や友情が困難を克服する不文律として描いたのに対し,ゴールディングはオブセッシブな狂乱と衝動によって,少年たちの手を同胞の血で汚させる.その結末は,陰惨な絶望で締めくくられる.本書は,ヴェルヌの少年漂流物語を痛烈に批判し,揶揄する.その作風は,海軍軍人として第2次大戦に従事し,戦後教職のかたわら人間内部の残酷さや悪といったものを創作の強いモティーフとした,ゴールディングのライフワークに依拠しているだろうか.

わたしはおまえたちの一部なんだよ.おまえたちのずっと奥のほうにいるんだよ?どうして何もかもだめなのか,どうして今のようになってしまったのか,それはみんなわたしのせいなんだよ
わたしらはおまえをひどい目にあわせてやる.分かるかね?…中略…おまえを,みんなでひどい目にね.分かるかね?

 特異な人間観と恐怖,怒りが集約される物語の中には,ベルゼブブが蠅の王として登場するわけではない.屠った豚の頭にたかる蠅の群が現れるのみである.しかし,内面的な悪と対決できる理性をもっていた少年に正体を隠したまま蠅の王は接近する.「わたしら」「みんな」と総体的に“蠅の王”は語り,その言葉通りに少年たちは暗黒に呑み込まれた.たった一つの理性"少年"は,人間全体のもつ根源的な悪にいとも容易く打ち砕かれたのである.

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Title: LORD OF THE FLIES

Author: William Golding

ISBN: 4102146016

© 1975 新潮社