▼『血と暴力の国』コーマック・マッカーシー

血と暴力の国 (扶桑社ミステリー)

 ヴェトナム帰還兵のモスは,メキシコ国境近くで,撃たれた車両と男たちを発見する.麻薬密売人の銃撃戦があったのだ.車には莫大な現金が残されていた.モスは覚悟を迫られる.金を持ち出せば,すべてが変わるだろう…モスを追って,危険な殺人者が動きだす.彼のあとには無残な死体が転がる.この非情な殺戮を追う老保安官ベル.突然の血と暴力に染まるフロンティアに,ベルは,そしてモスは,何を見るのか."国境三部作"以来の沈黙を破り,新ピューリッツァー賞作家が放つ,鮮烈な犯罪小説――.

 と暴力に染まる「自由の国」の嘆きは,テキサス,ニューメキシコ近辺という熱砂の国境地帯で明らかになる.コーマック・マッカーシー(Cormac McCarthy)が「国境三部作」に続いて発表した本書は,神話的な宿命論を主題にしている.老人の住む国ではない――命懸けで逃避行するヴェトナム帰還兵(現在は溶接工),彼を追う暗殺者シュガー.

 マッカーシー自ら「純粋悪」と命名したシュガーは,過去も未来もなく淡々と死を撒き散らす「遂行者」.両者を追う老保安官は,時代の変化を投影する犯罪の移ろいに,人の世の残酷さを悟り長嘆する.エアボンベとスタンガンを利用した圧縮空気銃で,家畜同様,シュガーは人間の眉間に致死の穴を打ち込む.コイントスで無造作に生死の賽を振っているように見える彼にも,独特の律がある.

人生の一瞬一瞬が曲がり角であり人はその一瞬一瞬に選択をする.どこかの時点でおまえはある選択をした.そこからここにたどり着いたんだ.決算の手順は厳密だ.輪郭はきちんと描かれている.どの線も消されることはありえない.自分の念じたとおりに硬貨の裏表を出せるなんてことをおれは信じない.なぜそんなことができる?ある人間が世界の中でたどる道はめったに変わらないしそれが突然変わることはもっとまれだ.おまえのたどる道の形は初めから見えていたんだ

 それは論理というよりファジーな恣意からくる強権に限りなく近い.説得的ではなくとも生殺与奪の権利を握るという不条理.なるほど純粋悪とは言い得て妙.突然の血と暴力に染まるフロンティア,一切の心理描写を排除,読点はなくカギ括弧で括られない登場人物の発する語.

 世界と人間の精神の境界,その輪郭が相互に溶け込んでいることに,言い知れぬ不安が掻き立てられる.保安官ベルの饒舌な思考は,破壊の預言者シュガーに対立あるいは取引関係にあるものなのか.未知のヴェールが厚すぎて,あらゆる解釈は心許ない.だが,称賛や畏怖の実体が掴めない時にも「神話」は用語として成り立つのである.

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Title: NO COUNTRY FOR OLD MEN

Author: Cormac McCarthy

ISBN: 9784594054618

© 2007 扶桑社