▼『完訳 封神演義』許仲琳 編

 千年の狐の精,妖妃妲己を迎えた紂王は暴虐の限りを尽くし,都朝歌を恐怖に陥れる.中国古代王朝,殷はまさに滅びようとし,太公望こと姜子牙を軍師に迎えた西岐軍は,昏君紂王を倒し,周王朝樹立のために結集した.人間界で繰り広げられる易姓革命に奇想天外な戦術を持つ仙人たちが活躍する.妖術が激突し,宝貝(秘密兵器)が炸裂する仙界人界入り乱れての大殺戮戦――.

 朝にはそれぞれ寿命があり,その興亡は天命により定められているという.魯迅『中国小説史略』によれば,本書は『西遊記』と同じく神魔小説というジャンルに属する古来のSF小説に分類される.神仙が下界の人間に手を貸し,天命に順う者と逆らう者がそれぞれ用いる神秘の武具――宝貝(パオペエ)――が入り乱れ攻防を繰り広げる.元代から明代にかけ,俗語体で書かれた4つの長編小説『三国志演義』『水滸伝』『西遊記』『金瓶梅』は“四大奇書”と讃えられるが,本書には格段に低い評価が与えられている.

 天子の徳が尽きれば,天命により別の姓の天子に改まり変わるという殷の思想に対し,昏君紂王の打倒に燃える西岐軍は,占卜によって天意を知るだけだった人間の主体性を興隆させた.史実の商周易姓革命をもとに起案された小説だが,作者(不特定)は明代の神学書『三教源流捜神大全』『神仙通鑑』などを参照し,神仙,仏教系の神仏,後世の武将を混淆させている.そのような時代錯誤をベースに,人間同士が争い,そこに神仙と鬼神らの対立が噛んで宝貝の威力が行き交う.

子牙は,驚きあわてた.南宮適と戦っていた魔礼青は,槍を引き陣外に飛びだすと,青雲剣を抜いて三回振った.すると,黒風が何万もの刃と矛を巻きおこし,激しいうなりを上げた.兄が青雲剣を使ったのを見て,弟の魔礼紅も再度珍珠傘を日滝,三,四回まわした.すると,あっという間に宇宙が暗くなり,乾坤が崩れた.強い煙が黒霧のようにわき上がり,無情の火が燃えあがり,火光が大地を覆い,金蛇が空中にくねる.…中略…無情の風化に襲われて,西岐の諸将は大敗を喫し,三軍は辛酸をなめた.黒風が巻きおこる中,激しい火災が荒れくるい,兵馬はさんざんに乱れる

 スケールの大きさ,また個性的な人物が数多く登場する娯楽的魅力はある.邦訳では唯一の完訳本だが,訳注は皆無.『西遊記』『平妖伝』『八仙東遊記』といった明代の神魔小説の予備知識がなければ,精読することは難しい.ところで,周王朝成立から十二代目幽王は,紂王が千年狐狸精・妲己に誑かされたのと同じく,笑顔を見せぬ褒姒という美女に骨抜きにされた.太子を廃して彼女の生んだ子を立てようとしたため,塞外民族の勢力を抑えることができなくなる.

 幽王の殺害後,各諸侯がそれぞれ「王」を称する東周の春秋時代に突入する.太公望妲己,聞仲など神通力のない人間社会では,殷も周も似通った衰退を辿っている.内部腐敗や混乱を呈する王朝末期にあって,天命を説くいかなる神仙も,君主の残忍さと人心の乱れを一掃する霊力をもった宝貝などは所有していなかったということである.

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原題: 完訳 封神演義

著者: 許仲琳 編

ISBN: 4877191763, 4877191771, 487719178X

© 1995 光栄