▼『ジョージ・オーウェル』川端康雄

ジョージ・オーウェル――「人間らしさ」への讃歌 (岩波新書)

 「反ソ・反共」作家のイメージから「監視社会化」に警鐘を鳴らした人物へと,時代とともに受容のされ方も変化してきたオーウェルポスト真実の時代に再評価が進む『一九八四年』などの代表作をはじめ,少年時代から晩年までの生涯と作品をたどり,その思想の根源をさぐる.危機の時代に,彼が信じ続けた希望とは何か――.

 ョージ・オーウェルGeorge Orwell)の生涯と思想を追求し,彼の多様な経験と視点を通じて帝国主義社会主義について幅広く探究する伝記である.文章を書く出発点は常に「不正を告発したいという党派的感情」にあり,「政治を芸術的に描く」ことをオーウェルは信条とした.1936年末,オーウェルはPOUM義勇軍マルクス主義者統一労働党)に所属し,アラゴン戦線分遣隊の伍長として参加し戦った.この戦闘体験によって,反ファシズム勢力内部の欺瞞に対する憤りを募らせた.戦闘中に喉に銃創を受けつつも奇蹟的に一命を取り留め,後にこれらの出来事を『評論集』にまとめているが,「人間狩り」と称してコミンテルン・スペイン支部スターリン主義,NKVDによるPOUM義勇軍への圧力,逮捕,監禁,拷問,銃殺などを詳細な目撃証言と共に記述している.

 共産主義の妖怪がヨーロッパを襲っていた時代は去り,その再来もないとオーウェルは既に予見していた.逆にソビエト神話の本質を暴き,ディストピア小説動物農場』『1984年』を通じて革命と権力の問題に対する批判を展開した.『カタロニア讃歌』『象を撃つ』においてもその批判の焦点を置いた.1942年ロンドン警視庁特捜部の報告書によれば,オーウェルボヘミアン的なファッションを好み,共産主義の会合に頻繁に出席していたと報告されている.オーウェルは20年以上にわたってMI5(イギリスの情報機関)に監視されていたが,ロンドン警視庁特捜部の見解と異なり,MI5は彼を先進的な共産主義者とは見なしていなかったようだ.オーウェルは「ナショナリズム」によって歪められた思考を,政治的潮流の中で見つけ,具体的に指摘している.

 オーウェルソ連派の共産主義者から反ソ連の「トロツキスト」,保守派,反ユダヤ主義者,カトリック信者,さらには平和主義者まで,幅広い思想傾向の人々が内なる「ナショナリズム」に抵抗するよう呼びかけた.「ナショナリスト」は,物事を威信や競争の観点からのみ見る傾向があり,「勝利か敗北か」「栄光か屈辱か」という二極的な視点にとらわれることで客観的な判断が難しくなると指摘したのである.スターリン主義が支配するソ連で起こった出来事にもオーウェルは深い関心を寄せた.彼はスターリン主義の圧政が進む中で,植物や動物までもが改変可能だと主張する「偽科学者」の台頭に批判的であった.また,スターリン政権の急速な工業化政策がウクライナの悲劇を引き起こし,何百万もの人々が餓死する結果となったことにも触れ,戦後,寒冷地でのレモン栽培を法的に許可したというスターリン政権の矛盾を指摘している.

 オーウェルの人生は戦争や病との闘いが付きまとったが,彼は執筆の傍らで自宅の庭に植物――バラや林檎の木やイチゴの苗――を植える日常を楽しんでいた.彼は植民地のビルマで警察官として働いたが,民衆から嘲笑されることもしばしばあったという.『象を撃つ』では,ビルマの市街に踏み込んだ象に向けた銃弾の一撃が「私」の宗主国の傲慢を象徴している.オーウェルは自己嘲笑力と階級社会の欺瞞の描写を通じて,深い洞察と鋭い眼差しを持つ作家としての一面を示した.オーウェルは「反ソ・反共」作家のイメージから「監視社会化」に警鐘を鳴らした人物へと,時代とともに受容のされ方も変化してきている.過去の記録が抹消され歴史の重要性が薄れる中で,再評価が進むオーウェルの生涯と業績から,過去を恐れずに想起する重要性を再考する必要があるだろう.

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原題: ジョージ・オーウェル―「人間らしさ」への讃歌

著者: 川端康雄

ISBN: 978-4-00-431837-8

© 2020 岩波書店