「ソクラテス,あなたは善く生きろというが,では"具体的にどうすれば"善い人間になれるのか」.ソクラテスの語る哲学の実効性に疑義を抱いた若者たち.本書では,異なる人生の航路を歩んだ3人の若者たちに焦点をあて,彼らの生きざまを探っていくとともに,彼らに与えたソクラテスの言葉の真意を読み取っていく――. |
デルフォイの神託「汝自身を知れ」という言葉は,ソクラテス(Socrates)によってあらゆる哲学的思考の出発点として置かれ,ソクラテスは人間の本質を探求し,人間の真の自己は身体ではなく霊魂にあると考えた.この霊魂を健全な状態に保つことこそが人間の幸福の鍵であると信じる立場から,善や他の諸価値をロゴス(理性的論証)によって探求し,真実の知識を追求することを試みたソクラテスは,内なる世界と外なる世界の間の裂け目を通じて「根源」という哲学的課題に焦点を当てた.彼は生と死の問題を探求し,根源のロゴス的考察を通じて,西洋哲学の重責を担う存在に神格化されていく.一方,ソクラテスの影響は,その弟子たちや後続の思想家たちによって,しばしば複雑な結果をもたらした.
ソクラテスの教えは,アルキビアデス(Alkibiádēs)のような弟子によって政治の舞台で受継がれたが,その結果,アテネの権力争いや戦争に影響を与えた.また,寡頭政治を行った三十人政権においてもソクラテス派の人物が関与し,その政権の非民主的な性格がアテネの敗北に影響を及ぼしたのである.ソクラテスは,民主政治を批判し,絶対的な真理を探求する「知の愛好者」として描かれたが,実際のソクラテスは,詭弁を用いて若者たちを惑わせるとされ,当時の一部の人々から危険視されていた.ソクラテスは「問答法」を通じて対象の本質を追求し人々を心酔させた.彼の哲学とイオニア自然学との大きな違いは,真理が人間存在の内側にあるか外側にあるかという点にあった.本書は,ソクラテスと親交のあった若者たちの生きざまを通じて,ソクラテスから授かった教えの真意を追求する.三人の若者――クレイトポン,アルキビアデス,アリスティッポス――に焦点を当て,彼らはどのようにソクラテスの教えを受け入れ,解釈したのだろうか.
若者たちには多大なエネルギーがあり,そのエネルギーを収束させることは大人の役割であるが,ソクラテスはそれではなく,問いかけを通じて若者たちの内なる真実を引き出そうとした.哲学の力強さや深さを通じて多くの若者たちを魅了したソクラテスの教えは一種の魔法のようであり,アテナイ市民の告発もその影響力を示すものでもあった.ソクラテスの裁判では,彼は自分に対する正式な起訴状に触れた.彼は国家の神々を認めず,新しい神格を導入しているとされ,「神を冒涜し青年を堕落させた罪」により告発された.ソクラテスの思想には,衆愚政治的な民主政治を断罪する要素も含まれており,形式的な民主主義を維持しようとする勢力にとっては脅威とされたからである.裁判は古代アテナイの市民501名からなる裁判員制度によって行われ,有罪判決が下された.ソクラテスは死刑判決を受け,最終的に毒杯を仰いでこの世を去った.
アテナイ市民の告発が示すように,ソクラテスは若者たちを堕落させているとされたが,その背後には知識や理性に基づく営みや社会の構成の危険性を見出す可能性もあるだろう.ソクラテスは,「善く生きる」方法を問われた際に,その具体的な方法を提供することはできなかった.しかし,彼の問いかけや対話を通じて,人々は自己認識と内なる探求を進め,自身の人生の方向性を見出す手助けを受けたのである.ソクラテスは,哲学の転換期や思想史において重要な役割を果たしてきており,彼の教えは確かに神話的な要素も含むものだったが,ソクラテスの追求した「魂の発見」「希求切望の精神」は,哲学の普遍的な精神の画期を形成した事実からみて,それはギリシャ思想史の解釈の一環として理解されるべきであろう.
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原題: ソクラテスと若者たち―彼らは堕落させられたか?
著者: 三嶋輝夫
ISBN: 978-4-393-32233-8
© 2021 春秋社