大たつまきに家ごと運ばれたドロシーは,見知らぬ土地にたどりつき,脳みそのないかかし,心をなくしたブリキのきこり,臆病なライオンと出会う.故郷カンザスに帰りたいドロシーは,一風変わった仲間たちとどんな願いもかなえてくれるというオズ大王に会うために,エメラルドの都をめざす.西の悪い魔女は,あの手この手でゆくてを阻もうとするが….世界中で愛され続ける名作――. |
カンザスの草原から竜巻に巻き上げられ,家ごと吹き飛ばされた少女ドロシーと子犬のトトを中心に,不思議な国を舞台に脳のない案山子(かかし),心をなくしたブリキの木こり,臆病なライオンとともに数々の試練を打ち破り,エメラルドの都を治める大王オズを訪ね,ついに元のカンザスに戻るまでの奇想天外な冒険譚.19世紀後半のアメリカに登場した児童文学の一つで,アメリカらしい野放図な明るさ,不思議な登場人物や出来事が新鮮な魅力として,子供から大人まで幅広い層に人気を博した.ライマン・フランク・ボーム(Lyman Frank Baum)の寓話として,本書は19世紀後半から20世紀初頭のアメリカ社会を照射する多くの解釈がなされている.
ボームは,幼少期に在宅で両親による教育を受けていたが,12歳の時には空想癖を抑えるために石油王である父親によってピークスキル陸軍士官学校に入学させられた.しかし,健康上の理由により2年後に退学することとなった.自宅に戻った後,彼は自身の印刷機を使用して地域の新聞を発行し,また芝居にも興味を持った.1878年にプロの俳優としてのキャリアをスタートさせる.26歳のとき,当時のアメリカで最も有名な婦人参政活動家であったマティルダ・ジョスリン・ゲージ(Matilda Joslyn Gage)の娘,モード・ゲージ(Maude Gage)と結婚する.ジョスリン・ゲージは長い間行われた「魔女狩り」に反対し,教会が女性を支配し抑圧するための手段と見なしていた.
魔法の国を支配する東西南北の4人の魔女はすべて女性であり,これは当時の女性の参政権のない現実や,家庭内での夫の主導的な立場に対する反発を反映している可能性がある.1905年,大統領セオドア・ルーズベルト(Theodore Roosevelt Jr.)は,結婚しない白人女性が子供を持たないことを「人種の自殺」と非難し,この問題に対してはフェミニストたちが激しい反発を示した.物語の中で,西の悪い魔女がドロシーに家事を強いる罰を与え,それに対してドロシーが反発する場面が描かれている.悪い魔女たちは市民を魔法によって奴隷のように扱い,一方で良い魔女と悪い魔女の力のバランスが物語の進行に影響を与え,これはアメリカの政治的な支持政党の関連性と結びついている.偉大なるオズの魔法使いは,個々の依頼者に対して願いをかなえる姿を変えることで,威厳のある指導者のように見せかけていたが,実像は見すぼらしい詐欺師であることが明らかになる.彼の虚像はアメリカの時の政治家たちとも共通しており,魔法使いの約束を守れないことが描かれる.そのことをドロシー一行に咎められたオズは,「詐欺師になったのは,私が他の人々ができないことをやることができたから」と述べ,人々が騙されることを求めていたからだと語っている.
オズ王国の描写はアメリカに類似している.東西南北の4つの国があり,首都はエメラルドの都.これはアメリカとその国民が地理的に中西部や南部などに分かれている構造を反映している.19世紀のこの時期,これらの地域は異なる色彩で表現されていた.東部は工業地帯から来るブルーカラーを青,南部は赤土やレッドネックを赤,そして西部はカリフォルニアのゴールドラッシュから来る黄金を象徴する黄色で描かれていた.また,エメラルドの都のモデルとなったワシントンD.C.は緑で表現され,これは紙幣の色に関連付けられる.ボームは,このような色彩を通じて,アメリカの地域的特性や価値観を表現したのである.この物語は,ボームが全米を旅し,様々な事件や事故からインスピレーションを受けて執筆した結果生まれたものである.彼の創作は,19世紀のフロンティアと重なる部分があり,特に西部の発展や価値観に焦点を当てる.物語は東西の魔女の死と,ドロシー,トト,魔法使いがアメリカに帰還する場面で締めくくられ,カカシがエメラルドの都の新たな指導者となり,農業の重要性を示し,ブリキの木こりが西部に産業をもたらし,ライオンは森のガーディアンの役割を果たすなど,各キャラクターの成長が物語の中で描かれていく.
本書は,1890年代のアメリカの政治的,経済的,社会的な出来事を,寓話や比喩として描かれた作品と解釈する論考が存在している.経済学者グレゴリー・マンキュー(Nicholas Gregory Mankiw)は,マクロ経済学のテキストでこの物語が「銀貨鋳造論争」を背景にした童話であると指摘した.また,経済史家ヒュー・ロッコフ(Hugh Rockoff)の記述によれば,民主党の大統領選挙敗北と金本位制の維持,さらに1898年のクロンダイク・ゴールドラッシュや他国における金の増産などが,貨幣供給の増大とデフレーションの解消,農民の債務返済の容易化と符合していることが示唆される.物語全体を通じて,登場人物の多くは銀の靴の魔法の力について知識をもたない.ドロシーは,南の良い魔女グリンダに出会うまで,銀の靴がカンザスに帰る力を持っていることに気づかなかった.この点から,ボームは金銀複本位制が経済危機の解決策であることが,一般の人々には理解されていない可能性があると示唆している.ドロシーがカンザスに帰るためにはかかとを3回鳴らす必要があったが,空中を飛んでいる最中,銀の靴が砂漠に脱げ落ち,もう二度と見つからなかった.この描写は,19世紀の金銀複本位制の衰退を象徴しており,1900年にこの制度が次第に廃れていく様子を反映している.物語の中で登場する東の悪い魔女は,農業従事者を圧迫するウォール街や東部の経済と工業の象徴である.19世紀において東部の工業労働者が重労働に苦しめられていたように,東の悪い魔女は国民を奴隷のように扱う存在として描かれた.
ドロシーが東の悪い魔女を殺すことで力のバランスが崩れる.この変化は,貨幣価値の低下と投資の後退を経て,人民党が国を金銀複本位制に向かわせた状況と関連しており,労働者階級や貧困農民は,借金負担を軽減するために金本位制から遠ざかる方向へ舵を切った.しかしながら,ボームに関する伝記作家や研究者は,こうした政治的解釈には否定的な見解を示しており,作品の背景に関する詳細な内容がボームの日記に残されていることや,ボーム自身が政治的な意図があったとしても,比喩的な風刺には関心を寄せていなかったという点を強調している.作品の序文においても,ボームは「ただ今日の子供を喜ばせるために書いた」と述べている.
本書の背後にある着想は,ボーム自身の経験や周囲の状況から得られたものである.例えば,ボームは1893年のシカゴ万国博覧会のホワイト・シティや,カリフォルニア州サンディエゴ近くのホテル・デル・コロラドからも着想を得ていたという.彼の作品は,個人の想像力や夢を描く力が社会を改善するための重要な要素であるとの信念を反映している.また,オズのシリーズ全体を通じて,ボームはユートピア概念や現代の問題解決への希望を表現していると思われる.オズの魔法使い自体も,19世紀後半から20世紀初頭のアメリカにおけるユートピアの写像であると解釈されるかもしれない.ボームは精力的に執筆活動を続けていたが,1919年に突然の脳卒中で倒れ,翌日に亡くなった.最期の言葉は,「これで私もあの砂漠を渡ることができる」というもので,おそらく彼は魔法の国の冒険で描いた幸福へと続く乾いたレンガ路――イエロー・ブリック・ロード――を思い描いていたのであろう.
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Title: THE WONDERFUL WIZARD OF OZ
Author: Lyman Frank Baum
ISBN: 978-4-10-218151-5
© 2012 新潮社