▼『フォン・ノイマンの哲学』高橋昌一郎

フォン・ノイマンの哲学 人間のフリをした悪魔 (講談社現代新書)

 21世紀の現代の善と悪の原点こそ,フォン・ノイマンである.彼の破天荒な生涯と哲学を知れば,今の便利な生活やAIの源流がよくわかる!「科学的に可能だとわかっていることは,やり遂げなければならない.それがどんなに恐ろしいことにしてもだ」.彼は,理想に邁進するためには,いかなる犠牲もやむを得ないと「人間性」を切り捨てた――.

 異的な計算能力と特異な思考様式から,「1,000分の1インチの精度で噛み合う歯車を持った完璧な機械」の異名をとったジョン・フォン・ノイマン(John von Neumann).53年間という生涯は,科学者としては短いほうだった.本書は,論理学,科学哲学,認知科学を専門とする著者によるフォン・ノイマンの評伝である.フォン・ノイマンの学問的業績,また奇人的エピソードは類書にも詳しいが,明朗快活で家族思いでもあったフォン・ノイマンの科学的信念を深彫りしている点が新しい.生前の論文を集めて出版された英語版『フォン・ノイマン著作集』は,全6巻合計3,689ページに及んでいる.

第1巻「論理学・集合論量子力学」,第2巻「作用素・エルゴード理論・群における概周期関数」,第3巻「作用素環論」,第4巻「連続幾何学とその他の話題」,第5巻「コンピュータ設計・オートメタ理論と数値解析」,第6巻「ゲーム理論・宇宙物理学・流体力学・気象学」というタイトルを眺めるだけでも,彼の論文がどれほど多彩な専門分野に影響を与えたか,想像できるだろう

 プリンストン高等研究所の5人の教授(テニュア職)の1人に迎えられたのは29歳のときであり,無矛盾性の証明方法という自己言及性の困難を不完全性定理で証明するクルト・ゲーデル(Kurt Gödel),量子論と対立しながら物理学は文学と文法を類似させていると思念をもつアルベルト・アインシュタイン(Albert Einstein)らと切磋琢磨あるいは彼らを圧倒した.前衛的でないことをなにより嫌い,雑音の中でしか思考することはできなかった――比喩的な意味ではなく――フォン・ノイマンは,アインシュタインの研究室の向かいで大音量のジャズを流して物理的状況の数学的形式化の実現に関する研究に没頭した.静けさを好むアインシュタインは怒りを隠さなかったという.

 フォン・ノイマンにとって,プログラム内蔵方式による計算機の論理設計をもつ「ノイマン型」計算機の設計,最適化を狙う個人の行為の結果が,必ずしも最適な選択とはならないことを示唆するゲーム理論,いずれも測りがたい価値を秘めた頭脳の遺構ではあっても,その体系とアーキテクチャー論理は知性の限界を押し広げる知的生産活動に過ぎず,すべては俯瞰的であった.ただし,その応用や導入による社会貢献力が超弩級だった.一方,情緒や感情を「雑音」としかとらえず科学の追究のためならば何をしても許される,という悪魔的な論理をいとわない.マンハッタン計画にも深く関与し,原爆の開発と京都の原爆投下――歴史的文化的価値が高いからこそ京都へ投下すべき,と主張――を強く進言したのは躊躇と妥協を許さない科学的態度が一貫するならば当然であった.

ノイマンの思想の根底にあるのは,科学で可能なことは徹底的に突き詰めるべきだという「科学優先主義」,目的のためならどんな非人道的兵器でも許されるという「非人道主義」,そして,この世界には普遍的な責任や道徳など存在しないという一種の「虚無主義」である.ノイマンは,表面的には柔和で人当たりのよい天才科学者でありながら,内面の彼を貫いているのは「人間のフリをした悪魔」そのものの哲学といえる

 原爆開発の罪悪感に悩んでいた若きリチャード・ファインマン(Richard Phillips Feynman)に対して与えた忠告により,ファインマンは悩みから「解放」された.晩年のフォン・ノイマンは,現実の戦争が「空想的なジレンマ」――彼の理論でいう抽象的なゲーム――に接近していることに気づいていた.ゲーム理論において,プレーヤーを完全な合理的主体と想定する理論モデルでは,数学的な解析に馴染まない曖昧さを回避する.しかし選択と予期の結果のジレンマに,疑いと苦悩が現実に人を迷わせる.「悪魔のような知性」「ブダペストの火星人(常人離れの頭脳)」と畏怖されたフォン・ノイマンは,明晰な合理性を阻害する要素を排除することに忠実だった.その成果が悪魔的な結果になったのであり,それは哲学などではなかった.厳密な論理の帰結だったのである.

ノイマンは我々が今生きている世界に責任をもつ必要はない,という興味深い考え方を教えてくれた.この忠告のおかげで,僕は強固な社会的無責任感を持つようになった.それ以来,僕はとても幸福な男になった

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原題: フォン・ノイマンの哲学―人間のフリをした悪魔

著者: 高橋昌一郎

ISBN: 978-4-06-522440-3

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