研究者の世界はPublish or perish.ではなく,Publish and perish.という言葉で表現されるような,危機的状況に陥りつつある.そこでは,科学者は業績を上げることにこだわるばかりに,様々な事件を引き起こしている.本書では,「研究発表を中心とした科学者の不正行為」という視点から,科学活動を目に見える実態として提示し,「科学者はなぜ不正を犯すのか」,「その予防法はあるか」,「研究倫理はどうすれば確立されるか」を詳細に検討する――. |
科学の成果は,信頼性と妥当性をもって広く世に還元されることが期待され,そのために科学論文は生み出されなければならない.データの捏造や改竄は,それだけで学界への重大な背信とみなされる.知見の蓄積と試行錯誤を発展法則とすると考えられる「科学」であるが,17世紀のイギリス王立協会はこの営みを「趣味」「アマチュア」の範疇ととらえていた.哲学,医学,神学などを正当の学問と限定していた時代,科学は傍流であったという科学発展史には,興味を引かれるものがある.しかし,研究成果を偽って他者と社会を欺く事例は,最古の類ではバビロニアの文書にある天体を,あたかも自分が観測したかのように公表した紀元前2世紀のギリシャの天文学者の実例もある.
科学研究や科学者の規範や誠実さに違反する行為は,犯罪として立件されなくとも,明らかに不適切な行為である.つまり,不正行為は,犯罪を律する規範よりも,はるかに高い倫理的な基準で律せられていることになる.高潔なる科学が,求められているのである
もはや,宗教と政治から距離を置くことで容認がとられてきた科学議論の段階的時代ではない.あらゆる社会制度・政策,規範に多大な影響をもたらす知見として,研究成果の質は評価される.一方,社会からの負託の拡大に比例するように科学情報の捏造,隠蔽,ノイズ,オーサーシップ,知的財産権の侵害などを公正に審判される仕組みを,社会的に定着させることの困難性が広がり続けている.本書は,「科学者はなぜ不正を犯すのか」「その予防法」「研究倫理の確立」を論及する.「学会研究倫理指針」「投稿規定」は学会“内規”に留まることが多く,そのことは高度に専門分化した科学を規範から律する難しさを示している.
海外の研究不正行為は,フィッシャー事件,ピアース事件,ヘルマン・ブラッハ事件などが本書で詳細に取り上げられている.そのうえで事実の「解明」を主眼とする研究者の連合的取り組みの必要性を,20世紀終わりに開催された「エジンバラ会議」「ベセスダ会議」の意義を示して訴える.本書の結論の主旨と解釈されるのは,研究上の不正行為の発見,指摘,糾弾は一連の科学的プロセスとして確立させる必要があるということだ.少なくとも大学院修士課程の全研究科で,「研究不正の予防」「研究倫理の確立と遵守」を講義・演習科目として必修化――学生であっても研究遂行に必須の「心構え」――,単位取得を修了要件とすることが求められるだろう.
大切なのは「事実」であり,善悪や好悪,価値観といったものではない.そして,科学とは,この「事実」に最大の価値を置いた接近方法ではないだろうか
講座の担当教員は,むろん複数名で担当し,内部監査によるモニタリング調査,外部機関による第三者評価制度による結果を倫理審査実績報告として,毎年度の情報開示を義務づけるべきである.研究倫理に反する事案については,当然に学内の審査委員会による調査と結果の開示がなされているが,外部機関による第三者評価は導入されていないことが多い.さらに,研究倫理上の疑義が生じなければ――疑わしい事案が発覚しなければ――審査委員会の権限は発動しない.つまり研究倫理規範は,公式化された「透明性の高さ」を高らかに求めるが,残念ながら「推定無罪」を前提とするために,実態は不正防止を射程とするクリアな倫理の域に至っていないのである.
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原題: 科学者の不正行為 ― 捏造・偽造・盗用
著者: 山崎茂明
ISBN: 9784621070215
© 2002 丸善