▼『これからの「正義」の話をしよう』マイケル・サンデル

これからの「正義」の話をしよう (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

 「1人を殺せば5人が助かる.あなたはその1人を殺すべきか?」正解のない究極の難問に挑み続ける,ハーバード大学の超人気哲学講義“JUSTICE”.経済危機から大災害にいたるまで,現代を覆う苦難の根底には,つねに「正義」をめぐる哲学の問題が潜んでいる.サンデル教授の問いに取り組むことで見えてくる,よりよい社会の姿とは――.

 テナイに設けられたギュムナシオンには,アカデメイアとリュケイオンとキュノサルゲスの3つがあった.プラトン(Plato)が紀元前385年ごろに開いた学園アカデメイアは,アテネの北西郊外にて半神アカデモスを奉った.3つのギュムナシオンは,アリストテレス(Aristotle),そしてプラトンの学派を作るが,弟子たちと禁欲的な共同生活を営み,とくに数学の研究を重んじたアカデメイアこそがアカデミーの語源となり,国家による高等教育機関の名詞として定着した.実用的な知識ではなく,哲学者や政治家になるための原理的な知識を教え,対話と議論によって深めることを尊んだ.

 アカデメイアの現代形を,マイケル・サンデル(Michael J. Sandel)は体現しているように見える.高等遊民の巣窟とさえいえる「哲学」を,政治の現実や理念に照らし合わせて考察する「政治哲学」.政策科学の分析手法が重視される近年の潮流に対しては,デイヴィッド・イーストン(David Easton)らの批判を招き,政治における価値と理念,そして政治の省察が求められてきている.能力主義,機会の平等,功利主義,自由の尊重,美徳の精神――これらの意義を考察するガイドとして,本書は身近な具体例を交え解説する.たとえば,5人の命を確実に助けるために,1人の命を奪うことは許容されるのか.完全なる同意を得られた殺人があるとすれば,その行為は無罪か.妊娠と出産の外部委託「代理母」は倫理的に問題を生じさせるか.

 こういった問いに解を導く理路の必然性を議論することと,コミュニティと個人が形成する「正義」のコンセンサスは何かを突き詰める知力は,古今の哲学者――アリストテレス,ロック,カント,ベンサム,ミル,ロールズノージックなど――の理論に依拠し,対立する立場の「論破」を志向する.「最大多数の最大幸福」に意を凝縮した功利主義.行為の正しさ/高潔さは,効率を超越した絶対的な善.相互的尊重に基づいた政治を規定する「共通善」.これら3つの立場にコミットする度合いにより,「正義」に関するイデオロギーは貌を変える.だが問題は輻輳しており,誰にも明快な解答を提示することはできない.

 立場としてはコミュニタリアニズムに属するサンデルも,功利主義リバタリアニズムの意義は認めざるを得ない点がある.1万人以上の履修者,1,000人を超す聴講者の前で,質問を投げかけ議論のための意見を名指しの学生から引き出す.学生のほうも,夢うつつに講義を消化していたのでは不可能な鋭いコメントを場内に投じ,それに対しさらなる批判的意見が衝突し,講義は異様な熱気を帯びてくる.政治哲学の現代的な課題は,人間の未来と状況の判断に関わる社会システムの批判的なパラダイム再構築をめざし,知的格闘を呼び起す.サンデルの講義をもとにした本書は,議論が飛び交い,知識と洞察を深めるガイドとして大きな成功を収めた.

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Title: JUSTICE

Author: Michael J. Sandel

ISBN: 4150503761

© 2011 早川書房