▼『方丈記』鴨長明

 失意の鴨長明が,日野の山奥,方丈の草庵に隠遁し,世の変遷と心の不安のなかに,自らの救いを求めようとする心境を自伝的に綴った,わが国随筆文学史上の不朽作.参考資料として,長明真跡の方丈記巻首,方丈庵遺跡を口絵に,現代語訳,解説,年譜,語彙索引を付す――.

 都の東南,醍醐寺に近い日野山に構えた方丈の草庵――約3.3メートル四方――に隠遁した鴨長明の名文は,漢文訓読調を混ぜた端正な和漢混交文,整然とした構成に無常厭世の仏教観が貫かれていて凛とした趣きがある.下鴨神社の最高の神官,正禰宜惣官を務めたほどの父は,長明が20歳ごろ早世した.和歌の創作と琵琶の芸にいそしんだ長明は,30代に勅撰集『千載和歌集』に入集して初めて勅撰歌人に選出される.

 後鳥羽上皇の和歌所設置に伴い,寄人に選ばれた長明は,藤原定家藤原家隆など専門歌人と交わり「まかり出づることもなく,夜昼,奉公おこたらず」といわれるまで精勤した.この時期が生涯で最高の誉れだったであろうが,栄光を極めるどころか苦悩と流転の日々が待っていた.上皇の恩顧により河合神社の禰宜に推挙されるが,同族鴨祐兼の奸計により妨害され,もはや後ろ盾もなく失意に陥った長明は,世俗の煩わしさを嫌って隠遁生活に入った.

知らず,生まれ死ぬる人,いづ方より来りて,いづ方へか去る.また知らず,仮の宿り,誰がためにか心を悩まし,何によりてか目を喜ばしむる.その,主とすみかと,無常を争ふさま,いはば,朝霧の露に異ならず

 「折り折りのたがひめ(不遇)」と不運を嘆いた長明は,方丈の草庵で五大災厄――安元3年の大火,治承4年の旋風,福原遷都による混乱,養和1年からの大飢饉,文治1年の大地震――を簡潔ながら容赦なく描写した.平安京の栄華にうつつを抜かす人々,そのはかなさを競う人生など,よどみに浮かんでは消える泡沫,あるいは朝顔の花に宿る露にひとしく空しいものだと書いた.無常を争うというのは,常恒不変ではない森羅万象に対し,人なり物なりに執着しても,それは変化消滅するものなので,失望するだけと考える諸行無常の深い感懐,すぐれた教戒である.しかし,生身の人間が集まる実社会で一時は栄誉を浴びた身として,葛藤し続けていることは隠しきれない.

そもそも,一期の月影かたぶきて,余算の山の端に近し.たちまちに三途の闇に向はんとす.何のわざをかかこたむとする.仏の教へ給ふおもむきは,ことにふれて,執心なかれとなり.いま,草庵を愛するも,閑寂に着するも,さはりなるべし.いかが,要なき楽しみを述べて,あたら時を過ぐさん

 閑寂な草庵にあって安息を求め続けても,一切の執着を捨てることに拘泥する自分こそ執着を捨てきれぬ,解脱にいたらぬ存在,と自問するも答えを出すことができず,ただ「南無阿弥陀仏」と三遍唱えることで心を落着かせようと努める侘しさを吐露するのである.長明は62歳ごろに没したと考えられるが,最晩年に歌人として再評価を受ける.新古今集の選者のひとり,飛鳥井雅経に誘われ第3代征夷大将軍実朝に歌論を弁じ,源頼朝の忌日には法華堂に参り,読経の間に涙を流し「草も木もなびきし秋の霜消えて空しき苔をはらふ山風」と詠んで堂の柱に註したと伝わっている.

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原題: 方丈記

著者: 鴨長明

ISBN: 4061310011

© 1983 講談社