▼『トムは真夜中の庭で』フィリパ・ピアス

トムは真夜中の庭で (岩波の愛蔵版 24)

 友だちもなく退屈していたトムは,真夜中に古時計が13も時を打つのを聞き,ヴィクトリア時代の庭園に誘いだされて,ふしぎな少女と友だちになります.歴史と幻想を巧みに織りまぜた傑作ファンタジー――.

 稚園(Kindergarten)という言葉の本来の意味は,「子どもたちの庭」というもので,これはドイツの教育学者フリードリヒ・フレーベル(Friedrich Wilhelm August Fröbel)によって提唱された造語である.幼児教育施設は,子どもたちが自由に成長し学ぶ場所であるべきだという考えに基づいて名付けられた.イギリスの児童文学には,親を失ったり親から離れなければならない子どもたちが,「囲まれた庭」で遊びながら心の傷を癒し,成長し,生きる力を見つける物語が多く存在する.本書は,主人公の少年トムが,おじとおばの家に預けられ,殺風景なアパートで過ごすことから始まる.トムは退屈に苦しめられるが,夜になるとホールの大時計が「13時」を打つ不思議な現象に気づく.それがきっかけで「真夜中の庭」と呼ばれる不思議な場所を発見した.トムは毎晩そこを訪れ,少女ハティと出会った.庭園内では時間の流れが一貫しておらず,トムとハティの「時」が異なっていることが明らかになる.

トムが庭園のなかへ足を踏みいれていったのは,朝になるまえの,シーンとしずまりかえった,この灰いろの時間だった.トムが階段をおり,ホールを通って,庭園へ出るドアのところにいったのは真夜中だった.しかし,トムがドアをあけて,庭園へ足を踏みいれたときには,それよりも時間はずっとすぎていた.夜どおし,月の光に照らされてか,あるいはくらやみにつつまれて,目をさましつづけていた庭園は,ながい夜の寝ずの番につかれはてて,いまうとうととしているところだった

 この庭園に流れる時間はヴィクトリア朝時代のもので時空を超えていた.この物語は,トムとハティが「真夜中の庭」で遊びながら成長し,お互いに影響を与える過程を描いている.時間の本質と人間の成長に焦点を当て,イギリス児童文学の傑作として高く評価されている.トムの心情や行動を追う筆致は,子どもの内面の複雑さを繊細に表現し,読者に共感を呼び起こす.トムとハティが大人へ向かう過程で,大家である年老いたバーソロミュー夫人との関係が明らかにされる.この奇跡的な出会いは,孤児のハティとトムの絆が深まり,共感し合い,新たな友情が生まれた瞬間である.物語を通じて,人生には喜びや愛といった明るい側面だけでなく,悲しみや憎しみといった暗い側面も含まれていることが示唆されていく.トムがハティを抱きしめた瞬間,彼は人生のアイロニー,年を取り,大人になり,最終的には死に向き合うこと,そして生きることの深い意味を理解する――おばあさんは,じぶんの中に子どもをもっていた.私たちはみんな,じぶんのなかに子どもをもっているのだ.

 アン・フィリパ・ピアス(Ann Philippa Pearce)は,イギリスのケンブリッジシャー州にあるグレート・シェルフォード村で生まれた.彼女の父親は祖父の代から続く製粉業者で,母親はランカシャー州から約240キロ離れた地域の紡績業者の娘であった.ピアスは四人兄姉の中で末っ子で,5歳のときに腎炎にかかり,治療のために多くの時間を家で過ごすことになった.そのため,彼女は普通の子供よりも遅く,8歳になってからケンブリッジのパース女学校に入学した.女学校では,ピアスは歴史に深い関心を抱き,特にヴィクトリア朝時代の文学――ディケンズやエリオットなど――を熱心に読みふけったという.本書は,彼女が実際に育った製粉工場の庭をモデルにしており,その背後には彼女の個人的な経験や環境への深く苦い愛着が込められている.ピアスは「人間はあるところで,自分はまったく孤独でひとりぼっちの人間であることに気がつかなくてはならない」というテーマを探求した.アメリカでのインタビューでも,彼女の作品における暗い孤独や哀愁について指摘があり,彼女は「最終的には誰だって一人である」という現実を厳しく語った.

 彼女は寡作家であったが,第二次世界大戦後,イギリスの児童文学の重要な作家として高く評価された.本作は,19世紀の産業革命期であるヴィクトリア時代の「庭園」を背景にもつことを考えると,イギリスで共有地(コモン)や緑地が公有され,織工用職住近接モデル住宅では,個別の保留地(アロットメント)として庭が敷設された時期であることに注目すべきであろう.その土地固有の様式(バナキュラー・スタイル)を持つ田舎風の家の「真夜中の庭」「時の謎」を理解する過程で,トムは確実に成長していく.物語はトムの成長と共に進み,最終的にはハティとの別れが訪れる.しかし,トムとハティが共有した「真夜中の庭」は,彼らの存在を支え,壁の向こうの世界への扉を開く.この物語は,子どもから大人へと向かう多感な少年少女期の現実を包み隠さずに描き出し,読者に人間の成長と時間の影響について,過去の記憶と共に深い内省を促すだろう.

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Title: TOM'S MIDNIGHT GARDEN

Author: Ann Philippa Pearce

ISBN: 4001108240

© 1967 岩波書店