1950年,北朝鮮軍の南進により勃発した朝鮮戦争.反共の名の下に,参戦を決定したアメリカだったが,それは過酷極まりない戦争への突入だった.スターリン,金日成,トルーマン,マッカーサー,毛沢東‥‥時の指導者たちが抱いた野望と誤算,彼らに翻弄され凍土に消えた兵士たちの血の肉声‥‥その全てから,あの戦争の全貌に迫る――. |
重厚なインベスティゲイティブ・リポート(調査報道)である.アメリカでは"忘れられた戦争"と呼ばれてきた朝鮮戦争(1950-1953)戦死者は推計で韓国軍約42万人,中国人100万人,米軍約5万4,000人,その他の国連軍約3,000人,ほか韓国民間人106万余といわれる.数百万人の南北朝鮮国民が一時難民となり,韓国の工業施設の大半は大きく損壊した.アメリカ人にとってはTVの普及する以前の遠く離れたアジアの貧しい小国での戦争ではあった.しかし,忘却するには甚大すぎた被害といわねばならない.1950年6月25日未明の北朝鮮軍38度線を越え開始された南下侵攻を受け,安全保障理事会は国連憲章第7章の下で侵攻を「平和の破壊」と認定,武力攻撃を撃退するために必要な援助を韓国に与えることを勧告する決議を採択し,これにもとづいてアメリカを中心とする国連軍が編制された.米大統領ハリー・トルーマン(Harry S. Truman)は議会にはかることなく宣戦布告,国連の警察活動の一環として韓国を支援するよう米軍に命じた.
その連隊長の名前はポール・フリーマンといった.フリーマンはちょっとジープを止めて,非常に冷静に威厳をもってエマソンに話しかけた.こんなこと,すなわち三個ないし四個師団の中国軍に追われながら一個連隊を引き連れて裏道を逃げることなど,毎日やっていることだといわんばかりの口調だった.「君,この橋を守っているのはどこの部隊か」とフリーマンはきいた.こちらも相手が誰だか分からないが,相手もこちらと同様,われわれのことを知らないようだ,とエマソンは思った.「第五連隊戦闘チームのA中隊であります」「第五連隊戦闘チームA中隊の幸運を祈る.ここでの任務に感謝する」といってポール・フリーマンは通り過ぎた
国連軍総司令部司令官に任命されたダグラス・マッカーサー(Douglas MacArthur)は,11月24日「クリスマスまでには帰国」を公言して北朝鮮軍の背後にあたる仁川上陸作戦を決行した.国連軍は北朝鮮軍を鴨緑江まで後退させたが,中国軍が鴨緑江を越えて参戦したことで38度線で膠着する.虚栄心の強いマッカーサーは,鴨緑江越えを許可しなかったトルーマン大統領の命令を無視,さらに北朝鮮の背後にある中ソを攻撃するため,中国沿岸部の封鎖と満州の基地に対する空爆と原爆使用を大統領に進言したが却下されている.中国・ソ連との全面戦争の危険を回避するための大統領判断であったが,マッカーサーには「前科」があった.1932年5月に起こった「ボーナス・アーミー事件」――第一次大戦帰還兵とその家族の31,000人が経済保障を求めてワシントンD.C.に終結した暴動――である.当時の大統領ハーバート・フーヴァー(Herbert Clark Hoover)は,軍隊に命じて武力鎮圧をはかったわけだが,その司令官がマッカーサーだった.
激しく抵抗する暴動者を鎮圧した結果,2名の復員軍人が射殺,ガス兵器により11週の新生児が重体,幼児2名が殺害された.ここまでの犠牲を出したのは,マッカーサーが大統領命令を無視して強行したためであった.フーヴァー政権は猛バッシングを浴びフーヴァ―はその年の大統領選挙に敗北する.アメリカの帰還兵とその家族にまで狂気の牙を剥くマッカーサーの異常性を,トルーマンも記憶し意識していた.したがって,鴨緑江越えの強行と中国沿岸部と満州に対する原爆使用までマッカーサーが切り出した時,即座に彼を司令官から解任したのは当然のことだった.デイヴィッド・ハルバースタム(David Halberstam)は,権力最深部に集ったエスタブリッシュメントの偏見や傲慢,過信が混沌の「出口のないトンネル」を先導したことを様々な政治的題材で訴えた.その最高峰は,ケネディ政権の栄光と興奮を引き継いだジョンソン政権のプログレッシブな理想に,戦争懐疑派の意見も呑み込まれ,反共の意義も与えられた泥沼のベトナム戦争を拡大させ続けた「最良かつ最も明晰」とされる人材の実像を詳細に暴いた『ベスト&ブライテスト』であった.
マッカーサーに長年接してきた人たちを苦しめた大きな問題の一つは,かれが必ずしも真実を語らないことだった.自分と自分の主張に都合のよいときには真実を利用したが,邪魔になるとすぐ真実から離れてしまうのだった.…中略…大勢のおべっか使いに囲まれ,だれも異論を唱えなかったために,かれ自身による歪曲が最終的には昇華されて真実となった.それに異を唱えると,それはただちに仇敵による歪曲とみなされるようになるのだった
甚大すぎた被害を招いたのは,朝鮮戦争も同様であったが,そのわずか2年後にベトナム戦争に突入していった狂気や愚鈍は,朝鮮戦争の失敗から何をも学ぶことなく「地図上でしか考えない,そして別の戦争を別の場所で戦っていた」(第38連隊戦車中隊長・中尉の証言)マッカーサー司令官とその幕僚たちの驕りにそのまま重なっている.さらに,ブッシュ政権のイラク戦争の欺瞞まで,アメリカの介入した軍事作戦のすべてに「誤算」が横たわっており,おそらくハルバースタムはインベスティゲイティブ・ジャーナリズムをさらに深化させようとしたのに違いない.『ロサンゼルス・タイムズ』の関係者によると,ハルバースタムは事故の前日の電話で,原稿を4日前に出版社に渡したことを告げ,これが「自分の生涯最高の著作」である,と話したという.しかし,本書は彼にとって21冊目,そして最後の著作となってしまった.10年間かけて完成させた本書の校了を終え,わずか5日後の2007年4月23日,サンフランシスコ南方40キロのメンローパークで自動車事故で不慮の死を遂げた.
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Title: THE COLDEST WINTER
Author: David Halberstam
ISBN: 978-4-16-765182-4, 978-4-16-765183-1
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