▼『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』米原万里

嘘つきアーニャの真っ赤な真実 (角川文庫)

 一九六〇年,プラハ.小学生のマリはソビエト学校で個性的な友だちに囲まれていた.男の見極め方を教えてくれるギリシア人のリッツァ.嘘つきでもみなに愛されているルーマニア人のアーニャ.クラス1の優等生,ユーゴスラビア人のヤスミンカ.それから三十年,激動の東欧で音信が途絶えた三人を捜し当てたマリは,少女時代には知り得なかった真実に出会う!大宅壮一ノンフィクション賞受賞作――.

 原万里の父は,国際共産主義運動の理論誌「平和と社会主義の諸問題」の編集者だった.1960年から1964年,思春期の一時期を,米原は当時のチェコスロバキアの首都にあった在プラハソビエト学校で過ごしている.ギリシャの紺碧の空と青い海を夢見る“リッツァ”.ルーマニア民族意識共産主義的言辞を弄するが,生活はブルジョアで虚言癖のある“アーニャ”の真っ赤な真実.芸術的才能を評価され,卓越した語学能力でユーゴスラビアの「白い都」を冷静に分析する秀才“ヤースナ”.在プラハソビエト学校はコミンテルン共産主義インターナショナルが運営しており,50カ国の各国共産党幹部の子女が集う学び舎だった.白(高貴と率直),青(名誉と純潔),赤(愛と勇気)で構成されるロシアの横三色旗は,汎スラヴ色として,多くのスラブ系諸国の旗に用いられている.

異国,異文化,異邦人に接したとき,人は自己を自己たらしめ,他者と隔てるすべてのものを確認しようと躍起になる.自分に連なる祖先,文化を育んだ自然条件,その他諸々のものに突然親近感を抱く.これは,食欲や性欲に並ぶような,一種の自己保全本能,自己肯定本能のようなものではないだろうか

 ロシア語を共通語とし,米原と旧友はプラハの思い出を共有していた.ロシア語通訳者となり,30年の年月を経て3人の少女に再会した米原は,ギリシャ軍事独裁政権の成立,ルーマニアの経済悪化と革命,ユーゴスラビアの多民族紛争が,3人のナショナリズムと民族的気質に及ぼした影響を洞察している.イギリスに亡命した後,旅行雑誌の副編集長となり,音楽評論家のイギリス人男性と結婚したアーニャは,「今の自分は10%がルーマニア人で,残りの90%がイギリス人」と言ってのけ,ロシア語の力を英語に変換してしまった.彼女は,民族と言語の誇りを本質的に「下らない」と切り捨てた.ソビエト学校時代,アーニャの愛国心の強さに敬意を払ってきた米原は驚く.

抽象的な人類の一員なんて,この世にひとりも存在しないのよ.誰もが,地球上の具体的な場所で,具体的な時間に,何らかの民族に属する親たちから生まれ,具体的な文化や気候条件のもとで,何らかの言語を母語として育つ.どの人にも,まるで大海の一滴の水のように,母なる文化と言語が息づいている.母国の歴史が背後霊のように絡みついている

 米原の主張も空しく,アーニャは子どものころに虚言を吐いた時と同じように,目を見開いてまっすぐ視線を向けてくる.アーニャはこうして,自己保全本能,自己肯定本能を発揮してきたのだと米原は悟る.大の勉強嫌いだったリッツァは,名門プラハ・カレル大学医学部に進学.ドイツで開業医となりドイツ育ちの平凡なギリシャ人男性と結婚,家庭を構えていた.ギリシャの青空の素晴らしさを知るが,女性の権利が蔑ろにされているためドイツに在住を決めたといい,反面ドイツの芸術文化の乏しさを嘆く.だが自分の受けられた高等教育は,社会主義体制だったからという彼女は,故国ギリシャの陰翳を窺って選択肢をチョイスしている.リッツァのいわば修正的愛国主義である.

 ずば抜けた秀才ヤースナは,ユーゴスラビア芸術大学に進学するが,芸術家の才能に限界を感じ挫折していた.外務省のマルチリンガル通訳を務めた後,国立病院勤務医の男性と結婚するも,合理的に割り切れない民族感情に葛藤しながら,自尊の念を否定できない.ユーゴスラビアの芸術家の破天荒な構成力と色彩感覚.その特性は,米原と机を並べた時代のヤースナの絵画に通じるものがあった.民族性のシンクロニシティを,芸術的才能が示していたのである.そのことを瞬時に感受する米原は,ソビエト学校時代,各国から派遣されてきた共産主義者の子女らしく,子どもながらに皆がれっきとした「愛国者」であったことを刹那に想起したはずだ.

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原題: 嘘つきアーニャの真っ赤な真実

著者: 米原万里

ISBN: 9784043756018

© 2004 角川書店