▼『出雲の阿国』有吉佐和子

改版 出雲の阿国 (上) (中公文庫)

 戦塵いまださめやらぬ桃山の世に,絢爛と咲いた一輪の華…やがて天下一の踊り手と謳われることになる乙女は,雪深き出雲に生を受け,舞の才を花開かせてゆく.歌舞伎の創始者として芸能史に燦然と輝く阿国の妖艶な生涯を描いた渾身の大河巨篇.昭和四十四年度芸術選奨受賞作――.

 風なる男の真似をし,茶屋の娘と戯れる「茶屋あそびの踊」で京の町を沸かせた出雲の阿国は,喜劇としての日本演劇「歌舞伎」創始者と伝わっている.『当代記』には1603年(慶長8年)の記述に,出雲の巫女を名乗り男装した女が,かぶき踊りを舞ったとある.生没年未詳,出身地も出雲のほかに佐渡と京都説が流れる阿国の史料――史実として信頼に足るもの――は,極めて乏しい.有吉佐和子は,出雲の国・鍛冶職人の娘で出雲大社の巫女であった説に依拠して,妖しくも画期的な芸能者を描いた.

 念仏踊りを生業としていた阿国一行は,御伽衆の大村梅庵の目に留まり,群衆と興奮を一体化させる陶酔の舞いが評判を呼ぶ.やがて女御前子から「天下一」とのお墨付きを与えられた阿国の足拍子は,権力におもねることを芸の是とする夫・狂言師三十郎との軋轢を生む.「河原の客こそ,踊りの客よ.おかしければ笑うわ,楽しければ手を打つわ.疎んじてはなるまいぞ」.阿国のかぶき踊りが広まると,遊女や女性芸人の一座が続々と模倣し「女歌舞伎」と称されたが,風紀を乱すとして禁じられ(1629年),前髪を残す若衆歌舞伎がこれに代わった.

 1652年,同じ理由で若衆歌舞伎も禁じられると,扇情的な容色本位から技芸本位に移る野郎歌舞伎が到来.元禄歌舞伎の準備期間となる.儒教的な性観念が,歌舞伎から女性を駆逐していったが,野郎歌舞伎の頃からは男性が女性に扮する「女形」の官能性・写実性が追究される.男装の女踊り手,その狂乱の魅惑も,歌舞伎における役柄の確立の1つ.この芸能に清新な魅力を吹き込んだのであった.阿国は,遊女歌舞伎との同列を嫌がり,客足も途絶えた阿国歌舞伎を出雲に持ち帰った.

 阿国は,鑪者たちの前で炎のように舞い,不慮の事故で落命した運命を辿った.出雲で智月尼を名乗り87歳まで生きたという説,あるいは81歳で小田原にて歿した説もあり,阿国の生涯は謎の部分が数多い.しかし,出雲の阿国の実在性と「踊りをやめなかった」という事実は疑えないとされている.実際性はともかく「踊り続ける芸能者」と,「書き続ける作家」を相似的次元でとらえようとした有吉の気概が,この長篇を完結させている.

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原題: 出雲の阿国

著者: 有吉佐和子

ISBN: 4122040809, 4122040817

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