▼『経済学は悲しみを分かち合うために』神野直彦

経済学は悲しみを分かち合うために――私の原点

 「お金で買えないものこそ大切にしなさい」.幼き頃の母の教えに導かれ,やがて青年は経済学の道を歩みはじめる‥‥新自由主義に抗い,人間のための経済を提唱する著者の思想はどのようにして育まれてきたのか.自らの人生,宇沢弘文氏ら偉大な師や友人らとの交流などを振り返りながら,経済学が果たすべき使命を根源から問う――.

 ョン・スチュアート・ミル(John Stuart Mill)は,主著『経済学原理』において「資本および人口の停止状態なるものが,必ずしも人間的進歩の停止状態を意味するものでない」と述べている.技術革新によって生産性が向上した結果,人口の増加がそれを上回っていた.しかし,今後はイノベーションが人間の生活や生活の質を向上させる方向に使われることができるようになるとミルは指摘,洞察した.著者は,財政学の権威である佐藤進に師事し,後に東京大学の伝統的な財政学(ドイツ財政学)の系譜を継承する立場として活躍した.社会全体のトータルシステムが経済,政治,社会という三つのサブシステムから構成され,財政現象がその結節点にあると位置づける方法論を提唱した.この視点から,非市場領域の社会システムを重視し,全体のシステム改革のために貢献することを目指した.財政は経済システム,政治システム,社会システムの結節点にあり,そのため,危機の時代には財政も危機に陥ると著者は指摘する.

 この危機は単に財政だけを解決することではなく,経済や社会の根本的な問題に取り組むことなしには解決できない.経済学は人々の悲しみを共有し,お金では買えないものの大切さを理解するためのものであり,単に市場取引だけを研究する経済学ではなく,非市場を含む財政学の道を選んだ.さらに,国家の経済活動を理解しようとする際には,国家の経済活動が社会への影響や,社会の変容が国家の経済活動に及ぼす影響,そして双方の歴史的循環を考慮に入れ,財政現象を位置付ける必要がある.財政学に社会学的な視点を持ち込むことで,総合的な社会科学として財政を分析する「財政社会学」を提唱.このアプローチでは,国家の経済活動だけでなく,社会の変容が国家の経済活動に与える影響や逆に国家の経済活動が社会の変容に与える影響を考慮する必要がある.この用語はルドルフ・ゴールドシャイト(Rudolf Goldscheid)によって命名され,ヨーゼフ・シュンペーター(Joseph Alois Schumpeter)に受け継がれた.

私がコルム(注;アメリカの財政学者)から学んだ最も重要な財政学への視座は,コルムの「財政学は伝統的に定義されているように経済学という広範な分野の単なる一部門ではない」という言葉に象徴されている.つまり,コルムは財政学を経済学・政治学社会学経営学会計学などの社会科学の「境界線的性格(borderline character)」をもつ学問と位置づけていたのである

 財政学は国家の経済活動に焦点を当てており,国家社会学の影響力が減少し,国家を理論的な概念に収めようとしない社会学に対する警戒感がある中で,財政社会学という用語が使用されたのである.著者は,新自由主義の考え方に対しても批判的である.彼らは競争原理に基づく市場経済を商品の分野だけでなく,共同負担によって共同の困難を解決する財政にまで拡大し,人々が分かち合うことを否定してきたと指摘し,地域社会の再生のためには自然環境の再生と地域文化の復興が不可欠であり,地域共同体を基盤とした政府組織が参考になると主張している.最後に,著者は現実が経済学の英知を受け入れないことによって危機が引き起こされていると批判する.経済学者や政策担当者が傲慢な考え方を持ち,経済学の誤った理解が問題の根源であると主張している.彼は,希望が失われていないと信じており,人間は失敗しても挑戦し続ける能動的な希望を持つべきだと強調する.

新経済学派の二元的組織論では,共同経済はもっぱら権力体の経済である国家経済と位置づけられ,非共同経済は「資本主義的市場経済」と想定される.つまり,ワグナーによって自主共同経済や慈善的経済組織として位置づけられていたボランタリー・セクターやインフォーマル・セクターという社会システムの存在は,意識されないのである.これに対して私が財政社会学に着目したのは,財政社会学では財政を,経済・政治・社会の各要素を統合する「社会全体」としての機能的相関関係(Funktionalzusammenhang)において理解しようとしていると考えたからである.しかも,財政社会学ではサブ・システムとしての狭義の社会システムについても,その意義を見失うことがないのである

 アダム・スミスの考え方も,利己心と共感を兼ね備えた人間の複雑な本質を理解することが重要であり,ポスト工業社会では知識の共有と共同体的な関係が発展を促す美徳であると述べる.しかし,日本はまだこの考え方に取り残されており,共感と協力を大切にする新たな経済のパラダイムに向けた転換が求められているという.特に,スウェーデンのような地域社会を重視したアプローチが成功例として挙げられ,このようなアプローチが持続可能な未来を築くための鍵であると信じていると述べている.それは,単に耐え続ければ「危機から脱出できるという受動的な希望」ではなく,「シジフォスの神話のような,失敗しても失敗しても挑む敗者の頑張りが抱く能動的な希望」.全体的には,ユートピア的で情緒的記述の回顧録である.

++++++++++++++++++++++++++++++

原題: 経済学は悲しみを分かち合うために―私の原点

著者: 神野直彦

ISBN: 978-4-00-061277-7

© 2018 岩波書店