▼『スーツの神話』中野香織

スーツの神話 (文春新書)

 1666年10月7日,時のイギリス国王・チャールズ二世の「衣服改革」によって,この世に新しい服が生まれた.以来,現代と同じ「スーツ」が十九世紀後半に登場するまでのイギリス男性服の変遷をたどり,スーツの魅力と奥深さを考える.貴族の処世術としての服から,ダンディとジェントルマンの闘い,フランス革命をへて,スーツがいかに歴史の荒波をのりこえ,現在の形に完成したのかを探る――.

 井晃子監修『世界服飾史』(美術出版社,1998)をみれば,フランス政府は国家的産業としてファッション文化を保護し続け,フランス革命後は大衆社会の流行性を決定付けたパリのモード,産業革命後の機能的・実用的なダンディズムの服型の登場,紳士服の中心地を確立するロンドン,それ以前のオリエント,ギリシア,ローマの古代の服飾.フランス・モード確立に先駆けたオランダの隆盛――それらの記述は,19世紀の装飾そのものが「流行の世紀」であるとともに「様式模倣の世紀」とされる「機能の象徴」の前史と片付けるわけにはいかないダイナミズムがあることを指摘できる.

 本書は,チャールズ2世(Charles II of England)が「衣装の統一」を宣言した1666年10月7日以来,18世紀のマカロニ・ファッション,ダンディズムという上流階級の流行を経験し受け継いできたダンディズムの象徴“メンズ・スーツ”の系譜をまとめた構成となっている.男子の上着ジュストコールが実用的衣服となって以来,18世紀にはジュストコール,ベスト,キュロットの組合せが一般的になった.上着は背中部分の縫目を減らし,上下同一のラウンジ・スーツで寛ぐエチケットが風潮として広まる.

 今日のスーツのフォーマル性・インフォーマル性・カジュアル性は「朝はモーニングコート,昼は正礼服のフロックコート,夜は夜会用のイブニング・ドレス・コート」とスーツのオールマイティ化が図られた結果とみるべきか.スーツという男性服の社会装置は,女性用に先駆けて発展し定着をみせてきたと評価できる点に異論はない.しかし歴史的な記述が延々と続く中で,本書には分析の中断やピンぼけがなされている印象.資料の豊富さに自負はあるだろうが,洞察と論旨に社会批評の視点が弱いために,ただ陳腐の感が強い.

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原題: スーツの神話

著者: 中野香織

ISBN: 4166600966

© 2000 文藝春秋