▼『清貧の思想』中野孝次

清貧の思想

 生活を極限にまで簡素化し,心のゆたかさを求めたわれらの先達.西行・兼好・光悦・芭蕉良寛など清貧に生きた人々の系譜をつぶさにたどり,われら今いかに生きるべきかを改めて問い直す――.

 素で貧しい生活ではあるが,正しい行いをする生活を「清貧」という.物質的な生活資料に乏しく,日常生活に根本的な支障をきたす「貧窮」「困窮」「赤貧」などとは違うのである.1990年代前半,日本経済がまだ「酔い」から冷めやらぬ時代であった.実際には,急速に資本の流れは冷込んでいくのだが,まだ楽観的な見通しが続いた頃である.そこでは,日本人はすぐれたホモ・ファーベル(物を作る人)であったし,これからもあり続けるという幻想が抱かれていた.中野孝次が本書を出版したのは1992年だった.ベストセラーになった本書は評判を呼ぶが,筆者には我慢のならないことがあった.

 それは,文芸評論家や経済学者が中野の主張の趣旨を「貧乏礼賛」ととらえたことだった.しかし清貧と貧乏は本質的に違う.その汲み取りかたの誤りを,中野は早くも1993年に編著『清貧の生きかた』で吐露している.

物や金への執着と関心が強ければ強いほど内面生活のゆたかさは失われる.だから生活は能うかぎり簡素単純にして,心の世界を贅沢にしようではないか,と主張しているだけのことなのだ.その主張を非難者たちはぜんぜん読みとっていない,読みとる能力を欠いている連中ばかりが悪口を言っていたのである *1

 高尚な内面とともにあるシンプルな生活が「清貧の思想」で,それは日本文化の伝統である,と主張しているが,なかなか伝わらない.古典の詩歌を引きながら,西行・兼好・光悦・芭蕉池大雅良寛のエピソードを交える.吉川英治宮本武蔵』では,本阿弥光悦は大邸宅に住む貫禄ある商人として描かれている.だが,それは実際の光悦の姿を描写したものではなかった.小者と飯炊きのほかは1人も使用人をもたず,質素な家に暮らしたと本阿弥一族の行状を記した『本阿弥行状記』にある.室町時代から続く家職の刀剣鑑定,研磨,浄拭を業としていた本阿弥家は,将軍家との交りも深く,光悦の晩年には洛北の鷹ヶ峰に光悦村をつくった.光悦は書画や陶芸,漆蒔絵,建築,作庭など幅広い分野で,その卓越した才能をいかんなく発揮したが,「本阿彌行状記」は光悦の諸芸はもとより,ひろく平生の言行の類を,主として孫の光甫が記述した本阿弥家の家記である.

 本阿弥家は,茶屋家,角倉家などと比肩するほど裕福な家柄である.光悦の父・光二の代から前田家から扶持を受けていたほどである.そのような家では,欲望のままに豪邸に住み,豪奢な家具と使用人に囲まれ,何不自由なく暮らすことを望むのがいわば当然だろう.光悦がそのような生活を送らなかったのは,「思想が自然の情を抑え従わせたから」である.質素な生活を営んではいたが,決して吝嗇ではなかったことが『本阿弥行状記』には伝えられている.というのは,ある時,光悦は瀬戸の名器を買おうとした.その際,売主が値引きしようとしたが,光悦はそれに応じず,言い値の金30枚で買い取った.この大金を用立てるため,光悦は家財産を売り払ったという.「目先の利益や欲にとらわれていては,1つの道を極めることはできない」という信念を彼は持っていたのである.

 吉田兼好徒然草』には,まさしく清貧の生き方を問う訴えがちりばめられている.第38段にいう.

まことの人は,智もなく,徳もなく,功もなく,名もなし.誰か知り,誰か伝へん.これ,徳を隠し,愚を守るにはあらず.本より,賢愚・得失の境にをらざればなり

 世俗的な栄誉や利得に惑わされることなく,ただ己の内面生活の充実を求めることの尊さは,書き留めて世に伝えることのできる国とそうでない国がある.徒然草の第18段には,それを省みるべき逸話がある.

唐土に許由といひける人は,さらに,身にしたがへる貯へもなくて,水をも手して捧げて飲みけるを見て,なりひさこといふ物を人の得させたりければ,ある時,木の枝に懸けたりけるが,風に吹かれて鳴りけるを,かしかましとて捨てつ.また,手に掬びてぞ水も飲みける.いかばかり,心のうち涼しかりけん

 中国の許由という人は,まったく貯えもなく,いつも水を手ですくって飲んでいた.それを哀れに思った人がひょうたんを恵んでやった.許由は木の枝につるしていたが,ある時ひょうたんが風に吹かれてがらがらと大きな音を鳴らしたところ,許由は「やかましい」と言って捨ててしまった.そしてまた,前のように水を手ですくって飲んだということだ.どんなにか心がすがすがしかったことであろう.許由は尭帝の世の高士である.尭から天下を譲られようとした時,「穢れたことを聞いた」と潁川で耳を洗い,箕山に隠れ住んだ.この逸話は『蒙求』「許由一瓢」にある.

 所有が人を制限する,その制限のもとでは精神の門は開かれない,とする思考を中野は訴えるのだが,それが日本独自のものとは解釈しないことに注目される.アッシジの聖フランチェスコ(Francesco d'Assisi)の考えにも通じる点を紹介しているのである.フランチェスコの教えは,従順・清貧・貞潔を戒律として,全ての財産を放棄した厳しい清貧が特徴である.彼もまた,裕福な家に生を受けながら清貧を実践した.宗教を前提にしたところが兼好とは異なるものの,世俗を離れた生きかたは相通じるものと中野はいう.

 本書で,中野は清貧の定義を試みている.それはみずからの思想と意志によって積極的に作り出した簡素な生の形態ということである.財力と徳性がトレード・オフの関係にあることを,清貧を定義することで改めて提起した形になる.実際,この言葉はほとんど死語になりつつあるといってよいだろう.富貴な人は必ず慳貪になるということは,所有を抑制することが内面活動を善くする,ということの裏返しに他ならない.そしてこのことは,禁欲的な精神原理とは違うのである.中野は,本書を執筆する以前より,清貧の生活を継続してきたという.2004年に没したが,毎年8月には長野県須坂市浄運寺で文芸評論家の秋山駿らと,「無明塾」と称する勉強会(市民講座)を開いていた.所得をミニマムにし,精神活動をマキシマムにする.その必要性を,長年説いてきたのである.

 そんな彼は,決して裕福な家に育ったわけではなかった.彼の父親は大工の棟梁であり,職人の子どもに教育は必要ないと考えていた.だから,中野の兄である長男は進学せず就職させ,次男である中野にも同じ道を歩ませようとした.中学・高校がまだ旧制だった時代である.自伝的小説『麦熟るる日に』に,中野は「長井」として登場している.小学校6年生ともなれば,進路のことで悩みを感じることも多くなる.しかも,成績ではなく経済的理由と親の理解がなく進学の道を閉ざされている中野にとっては,それは想像を絶する苦しみだった.

 この頃の中野の友人に,須藤という男がいた.裕福なサラリーマンの息子で,中野にはない自室と多くの蔵書をもっていた.須藤の母親は留守がちだったので,中野は彼の部屋で読書に耽り,羨望と嫉妬を感じながら知的欲求を満たそうとしたという.だが現実の自分は,進学を許された身ではない.鬱々とする日が続いた.担任の教師は,中野を進学させるように父に説得に来たことがある.しかし,父の意向を変えることはできなかった.それは,中野に進学の道が絶望的になったことを意味した.その日の放課後,中野は校庭の砂場に1人でいる須藤を見つけた.

そういう彼を見ているうちに,突然なにか狂暴な,わけのわからぬものがうちに衝きあげてきて,ぼくはやみくもに須藤めがけて突っかかっていった.突進していった全身の力で須藤をつき倒し,のしかかり,殴りつけた.自分でもどうしてそんなことをしたかわからずに,ただ,いま自分はなにか非常に卑怯な,浅ましいことをしているのだと自覚しながら,泣きながら須藤を殴りつづけた *2

 周りを見回すたびに,自分の生まれ育った境遇への嫌悪と憎しみが湧いてくる.両親のように学問とは無縁な生活を送りたくない.小学校を卒業し,その思いは強くなるばかりだった.教師の勧めで海軍航空廠技手学校に入学したものの,自分のやりたい道とはかけ離れている.たまらず退学した中野には,親が「将来を真剣に考えろ」と迫ってくる.鬱屈したどん底の時代だった.そんな彼を救ったのが,「専検」制度である.これは今の「大検」と同じで,旧制中学に進学できなかった者が合格できれば,中学卒業の資格が得られる.そうなれば,旧制高校に進むことができる制度だった.だが,専検は難関だった.

 陸軍士官学校に合格した須藤から,受験参考書一式を譲り受けて中野は受験勉強を始める.1日14時間に及ぶ受験勉強で,1度の受験で合格.さらに旧制高校に入るための予備校に通い,旧制第五高等学校(現在の熊本大学)に入学.そして,1950年には東京大学文学部独文科を卒業する.文字通り,挫折と苦学の末の成果だった.それまでは,苦難と苦闘の連続だったのである.だが,中野は家族を尊敬する念を忘れることはなかった.父をはじめとする職人気質の人々の神仏に対する敬虔な心がけは,心の律を保つのに重要であると考えた.また,母は家事に身を捧げるような毎日だったが,欲得に転ぶことはなかった.無名の市井の人々の中に,清貧の生き方が根付いていることを,喜ばしく思っているのだ.その感覚が特別なものではないことが,庶民の生活として美徳なのであり,それは,久隅守景《夕顔棚納涼図屏風》に如実に表されているという.

 中野の主張する道とは,結局は「経済至上主義への批判」ということができる.その文明批判の題材を,清貧さというものに求め,それを過去の遺物にしてはならないと警鐘を鳴らしている.つつましい倹約は,卑しいしみったれと同じに扱ってはならないのである.むしろ,物の過剰の中で満たされない空虚感を味わった現代だからこそ,所有にとらわれることのくだらなさを啓蒙する視点が重要なのであろう.しかし,清貧生活の回帰だけを現代社会に訴えても難がある.さまざまな政策の分野で,生産効率を高めるための規制緩和が横行し,競争促進がさらに強化される現代では,質素な美徳などゴミのように扱われるだけだ.そこではただ,人間の欲望と向上心を刺激し,高揚させる手法がとられるのみである.そのパフォーマンスは流れに掉さすばかりで,古人からの伝統はひっそりと息を潜めるばかりなのである.

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原題: 清貧の思想

著者: 中野孝次

ISBN: 4794204779

© 1992 草思社

*1 中野孝次(1997)『清貧の生きかた』筑摩書房, p.10

*2 http://www.ne.jp/asahi/kaze/kaze/koozi.html