▼『私は魔境に生きた』島田覚夫

私は魔境に生きた 終戦も知らずニューギニアの山奥で原始生活十年 (光人社NF文庫)

 昭和十九年六月,孤立無援の東部ニューギニアで味方部隊の再来を信じて篭城した日本軍兵士十七名.熱帯雨林の下,飢餓と悪疫,そして掃討戦を克服して生き残った四人の男たちのサバイバル生活を克明に描いた体験記.敗戦を知らず,十年間の“生存”に挑んだ逞しき日本兵たちのノンフィクション――.

 者は1944年当時,ニューギニア戦線で敗走した日本陸軍第十八軍部隊第4航空軍の一員として所属していた.中部ニューギニアのアイタペとホーランジアの日本軍守備隊は撤退を余儀なくされた.海岸地帯が一気に制圧されると,アイタペとホーランジアを西に移動し退却中であった部隊――サンドイッチ部隊と呼ばれる――は,人跡未踏の密林地帯を彷徨う苦難に襲われた.敵の手に落ちることを恐れ,山中に潜むことを協議のうえ決定した彼らに,選択の余地はなかったといっていいだろう.

 サンドイッチ部隊の死亡率は99.9%であった.損耗率9割を越えるニューギニアの一断面は,「自戦自活」という美名で魔境に取り残された兵士たちの生存史となって記憶されるべきである.秀でた戦史は数多いが,熱帯雨林の下で飢餓と悪疫に抗い,17名の同胞を敵の襲撃から防御するための籠城を長期に続けた実録として,本書の迫真性は驚異に満ちている.不毛の地を開墾し農園を開き,野生の猪との死闘を制し,狩猟から畜産へとノウハウを編み出し,炭焼き,鍛冶と金属加工を苦心の末,可能にして露命をつなぐ.そのような生活が10年.

しかし一度死期を失った私たちに生への執着は強かった.日本軍人として虜囚の恥は受けられぬ.潔く自決すべきか.しかしそれも弾丸雨飛の緊迫した状況の下では容易なのだが,平静な今,私たちは軍人のベールを捨てた人間そのものの弱さをつくづくと感ぜられた.何としても生きたい.生き抜かなければいけない.自分のために,そして日本のためにも・・・こうなれば私たちが勝つか死の神が勝つか,あくまで頑張ろう.生きられる限り生き抜こう

 12ヘクタールの土地で開墾した農園で,生産に成功した作物は,タピオカ・タバコ・甘藷・バナナ・パパイヤに及ぶ.建設した家屋には蚊帳や便所を設置し,廃鋼からはナイフ・秤・針金を創り出す.資源や生活の知恵がほぼ皆無であった兵士たちが,絶望と戦いながら「生きる」という選択を放棄せず,英知を磨き上げていった軌跡は感動的である.原住民との遭遇にも,果敢に交渉し,その文化から吸収すべきものを見つけようとする姿勢にも,強靭な生命力を感じる.

内地の状況も次第に判り,帰還の日も近づくにつれて私たちの心には大きな不安が芽生えてきた.それは人の世を離れて送った十年の空白生活である.現在の日本は思想その他において昔の影も留めぬほど目まぐるしい変わり方をしている.その日本に旧思想のまま,そして十年の空白を持った私たちが帰って,果たしてその生活になれ,生きる道を求めて行けるだろうか.何もかもすべて新しく再出発だ.まだまだ人生は長いのだと思いつつも,やはり将来を考えると何かしら手放しで生還を喜べぬものがあった

 原住民と交流のあったオランダ官憲についに発見され,拘束されて初めて知った日本の敗戦.収容されたとき,17名の部隊の生存者は4名にまで減っていた.帰還後,マラリアと栄養失調の後遺症で入院中,著者は生存の同士小島護と本書を起草した.約1年で書き上げられたが,出版化されるまでに30年の期間を必要とした.戦況や軍の上層部の決定などは,戦場と未開の地で生死の境を彷徨った兵士たちには知る由もないことであった.ただ生きることに専念した冷静な筆致であるだけに,胸に迫るものがある.生と死の傾斜を克明に描いた記録文学として,傑出している.

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原題: 私は魔境に生きた―終戦も知らずニューギニアの山奥で原始生活十年

著者: 島田覚夫

ISBN: 9784769823377

© 2002 光人社