▼『狂気の偽装』岩波明

狂気の偽装―精神科医の臨床報告 (新潮文庫)

 現代日本で急増する「心の病」.マスコミは,新たな社会現象に合わせて乱造された「病名」を喧伝し,悲惨な事件が起これば被害者を「PTSD」だと安易に決めつけ,「心のケア」を気軽に叫ぶ.だが,それは正しい診断なのか?その患者は本当に精神疾患なのか?精神医療の現場を混乱させる「心の病」ブームの実態を,治療の最前線に身を置く現役の臨床医師が撃つ.渾身の告発リポート――.

 者は,東京都立松沢病院東京大学医学部精神医学教室,藍野大学設立準備室,埼玉医科大学精神医学教室,昭和大学医学部精神医学講座で臨床経験を積んだ精神保健指定医であるという.近代医学により疾患と認定されるようになった各種の「心の病」.

精神疾患は,カジュアルなものでも,美的なものでもない.単なる病気である.他人に誇るようなものではないし,ネットで不特定多数の人にさらけ出すべきものではない.さらに,精神科の病気は患者の人生のすべてを変えてしまうこともあるし,家族のすべてを巻き込むことも少なくない.闘病の末,精神病院の中で孤独な死を迎えることも稀ではないのである

 精神変調の「背景」と「狂気」の区別は厳密になされるべきだが,概念や症候群の虚実はジャルゴンとネオロギスム(言語新作)となって生産され続けている.現代の「心の病」は,杜撰な見立てのもとに社会的な興味本位で世俗的概念となっていることに,本書は警鐘を鳴らす.美女ヘレネトロイアの王子にさらわれた時,オデュッセイアは狂気を装ってトロイア戦争従軍を避けようとしたが,パラメデスに虚偽を見破られている.

何か奇妙な事件が起きると,新しい「心の病」がブームになることも珍しくない.特に少年の起こした不可解で凶悪な犯罪事件は,心の病と関連しているという文脈で語られることが多い.少年法により事実が公表されないこともあり,専門家を称する人たちの意見も分かれた.またそのことが無責任な放言を許す原因にもなっている

 狂気による利得(疾病利得)の意図は,否定できないところであろう.精神医療の実情をよく知る立場からなされた告発的提唱,とりわけ生々しい事例報告には瞠目すべきものがある.ただ,表題や章題には,文学的解釈がなされるような不安定さがあることは気になる.一般向けの啓発書の性格からすれば,危険要素のひとつといえるかもしれない.

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原題: 狂気の偽装―精神科医の臨床報告

著者: 岩波明

ISBN: 9784101305721

© 2008 新潮社