▼『マヤの一生』椋鳩十

マヤの一生 (講談社文庫)

 マヤがわたくしの家に着いた時は片手にのる程の小さな犬だった.マヤは,はじめに抱いてくれた次男に一番なついていた.ニワトリのピピ,ネコのベルとも仲良く暮していたが,戦争が激しくなった時,国からマヤを殺すようにと通知がきた‥‥戦時下,動物と人間との愛のドラマを淡々たる筆致で描いた動物文学の名作.赤い鳥文学賞受賞――.

 禍の記憶も新しい1950年代,大岡昇平『レイテ戦記』,大西巨人神聖喜劇』の登場は,戦争礼賛というプロパガンダへの反省を篭めた反戦文学の一つの興隆を示した.身近な動物たち(犬,猫,鶏)の扶け合い,また子どもとの触れ合いを題材にした本書は,不朽の児童文学.同時に,やさしい語り口で動物の世界を人間世界に擬人化する椋鳩十会心作となる反戦文学である.

 3つの生きものがテリトリーを尊重し合い,信頼を寄せ合って健気に生きているのに対し,戦時下での人間の醜さ,浅ましさ.日本の戦争文学は,被害者でありながら同時に加害者であった事実を率直に指摘し,追求する分野を開拓してきた.誰に迷惑をかけるはずもないマヤたちを,人間の恣意な理屈で絶命させるという時勢.そこに追従せざるを得なかった深い悲しみは,椋の実体験が戦後25年を経て作品化されたことに表れている.

 「非国民」という理不尽な烙印に子どもは傷つき,作者と思しき“わたくし”は,何食わぬ顔で国民を欺く軍人と,ただ家族に寄添いたい一心のマヤの純真さの区別を誤る.本来,人がもつ思いやりや美しさを感受する感覚を,非人道的な軍国主義が侵食している描写は――きわめて反戦的でありながら――老若の読者に痛切かつ真摯に訴えかける力をもっている.

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原題: マヤの一生

著者: 椋鳩十

ISBN: 4061380923

© 1979 講談社