▼『イワン・デニーソヴィチの一日』アレクサンドル・ソルジェニーツィン

イワン・デニーソヴィチの一日 (新潮文庫)

 1962年の暮,全世界は驚きと感動で,この小説に目をみはった.当時作者は中学校の田舎教師であったが,その文学的完成度はもちろん,ソ連社会の現実をも深く認識させるものであったからである.スターリン暗黒時代の悲惨きわまる強制収容所の一日を初めてリアルに,しかも時には温もりをこめて描き,酷寒(マローズ)に閉ざされていたソヴェト文学界にロシア文学の伝統をよみがえらせた芸術作品――.

 ターリン時代の粛清による強制労働の従事者は,1,500万人に達するという.1944年から45年にかけて,友人と交わした書簡の中で,アレクサンドル・ソルジェニーツィン(Aleksandr Isaevich Solzhenit︠s︡yn)は,スターリン政権に関する批判めいた言及を記していた.それを検閲で発見された後,「欠席裁判」により,強制収容所ラーゲリ)8年の刑が宣告される.前半3年間はモスクワ郊外マルフィノの特殊収容所で数学の専門研究に携わり,その後1953年まで北カザフスタンのエキバストゥスの収容所で肉体労働に従事した.

 ラーゲリで「一日」を過ごす一農民シューホフの体験は,1/3,653に希釈されている.10年間の収容生活におまけの閏年が加算されているためである.元海軍大佐,パルチザン,カメラマンといった雑多な職種の人間がラーゲリには収容されており,エストニア人,ラトビア人,モルダビア人という人種の坩堝だった.本書は,フョードル・ドストエフスキー(Фёдор Миха́йлович Достое́вский)自身のオムスク監獄での体験に基づく記録文学死の家の記録』と並び,ロシア獄中文学の金字塔である.

野菜汁の楽しみは,それが熱いことだ.しかし,シューホフがいま手にいれたのはすっかり冷えていた.それでも,彼はそれをいつものように,ゆっくりと,舌の先に神経を集中しながら,じっくり味わっていった.たとえ天井が焼けだしても──あわてることなんかない.睡眠時間を別にすれば,ラーゲルの囚人たちが自分のために生きているのは,ただ朝飯の十分,昼飯の五分,晩飯の五分だけなのだから

 凍雪(マローズ)の中での重労働,人民支配の監視と密告の恐怖,生存のため飢餓と困窮との対峙――本書で扱われる「ほとんど幸福ともいえる一日」の実態である.告発を主眼とする文体ではないが,ユーモラスな装いさえある悲劇的内容は,スターリン崇拝の世相では許容されるものではなかった.共産党書記長ニキータ・フルシチョフ(Никита Сергеевич Хрущёв)の決断で本書は1962年11月『ノーブイ・ミール』誌に発表されている.

 1930年代の大粛清とスターリン崇拝をフルシチョフは烈しく非難した.一介の田舎教師に過ぎなかったソルジェニーツィンの記録が,暗黒時代におけるロシアの民衆(ナロード)の生活実態を克明に記録した本書の形で出版され,国際的反響を呼んだ.出版から2年後の1964年のフルシチョフ失脚後,スターリン批判とフルシチョフ批判が応酬する中でも,市民の恐怖と辛酸を描いた本書の抑圧的雰囲気は確固としたものがあった.

一日が,すこしも憂うつなところのない,ほとんど幸せとさえいえる一日がすぎ去ったのだ.こんな日が,彼の刑期のはじめから終わりまでに,三千六百五十三日あった.閏年のために,三日のおまけがついたのだ……

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Title: ОДИН ДЕНЬ ИВАНА ДЕНИСОВИЧА

Author: Aleksandr Isaevich Solzhenit︠s︡yn

ISBN: 9784102132012

© 2005 新潮社