▼『完訳 マルコムX自伝』マルコムX

完訳マルコムX自伝 上 (中公文庫 B 1-31 BIBLIO20世紀)

 スラムの中で麻薬を常用,強盗にまで堕したマルコムは,刑務所で自己の価値に目ざめ,黒人イスラム教団の最も戦闘的で説得力のあるリーダーとなる.非宗派的な黒人解放組織を設立し,新しい活動を深めるなかでの暗殺.なぜ黒人は人間であることを否認されるのか.問いは今も重い――.

 北戦争後,憲法第14条によりアメリカ在住の黒人は市民権を与えられたものの,1960年代後半以後,アジア系およびラテンアメリカ系の人々が大量に合衆国に流入し,コーカソイドネグロイドの対立は複雑化を見せた. 1967年から3年間で,デトロイトなど101の都市で黒人の暴動「長く熱い夏」が起きるも,ブラック・パワー運動は広範な黒人の結集に成功せず,指導者たちは分裂していった.スウェーデンの経済学者グンナー・ミュルダール(Karl Gunnar Myrdal)が1944年『アメリカのジレンマ―黒人問題と近代民主主義』で論じたのは,投資拡大と物価上昇の間に循環的および累積的な相互強化作用が生じるのと同様,黒人の困窮問題と彼らに「飼いならされた,従順で,哀れな黒人」像を強要するコーカソイドの人種主義は,循環的かつ累積的な相互強化関係にある,という指摘であった.

 急進的な黒人解放運動組織「ブラック・ムスリム」(黒人イスラム教徒)で頭角を現したマルコムX(Malcom X)は,独自組織〈ムスリム・モスク〉〈アフロ=アメリカン統一機構〉を設立,公民権運動との連携も視野に入れはじめた矢先,対立していたネイション・オブ・イスラム組織員3名により16発の凶弾を浴びて暗殺された.彼は,「人種融合」をほのめかす白人リベラル派,ワシントン大行進に象徴される黒人公民権運動の黒人指導者,いずれも偽善と欺瞞が潜んでいることを許さなかった.W・E・B・デュボイス(William Edward Burghardt Du Bois)『黒人のたましい』で述べられたように,真の自己意識を自分たち(黒人)に授けず,代わりに自己理解させないまま,もう一つの世界(白人世界)の啓示を通してのみ見ることを許容するアメリカ社会という二重意識――絶えず自己を他者の視点で見つめ,軽蔑と憐憫を楽しみながら――傍観者としてもう一つの世界を眺め,自分の魂を探る独特の感覚を黒人がもたされている現実への強烈な拒絶であった.

 禍々しい白人を「青い目をした悪魔」と憎み罵倒するイデオロギーの因果は,マルコムXの自我形成と融合している.彼の祖母は,白人牧場主に暴行された黒人奴隷女性であった.父は白人至上主義結社KKKに惨殺され事件は隠蔽,自宅は放火により全焼,母は極貧の中で8人の子を育てるも発狂して精神病院に収容,マルコムXの家庭は崩壊した.鋭い知性と雄弁術により,ゲットーに住む黒人たちをエンパワメントした彼の急進的指導力の源泉は,憤怒と憎悪だった.公民権運動の第2世代ストークリー・カーマイケル(Stokely Carmichael),アフリカ系解放運動のシンボル的存在となった左翼系運動家アンジェラ・デイヴィス(Angela Yvonne Davis)も,マルコムXの信念には遠く及ばない.本書の白眉とされるべき描写は,ブラック・ムスリムネイション・オブ・イスラム)で師と仰いだイライジャ・ムハンマド(Elijah Muhammad)への傾倒と幻滅ではなく,暗殺の前夜にイスラム教の聖地メッカ巡礼を経て正統派イスラーム教に改宗し「真に対等でインクルーシブな社会の実現」の理想に目覚めたことでもない.

もっとも大切なことは辞書を持つことだとわかった.言葉を調べ,学ぶのだ.幸運にも,文字の書き方もなおさなければならないと気づいた.悲しいことだ.まっすぐの線も引けなかった.この二つがわかったので,私はノーフォーク犯罪者コロニー学校から,辞書とともにノートと鉛筆をもらう気になったのだ

 ニューヨークのハーレム書店「ナショナル・メモリアル・アフリカン・ブックストア」を構えていた店主ルイス・ミショー(Lewis Micheaux)の冷静でメタアナリシスな見解「黒人は美しい.しかし黒はパワーじゃないんだ.知識こそがパワーさ」.そのことを独力・独学で掴み取った「刑務所における読書」を規律的に,しかし猛然と古今の文献を読破し続け,誰にも盗まれず,奪われない精神的成長を遂げた知の蓄積,その赤裸々な告白なのである.本書は,アレックス・ヘイリー(Alexander Palmer Haley)のインタビューをもとに,マルコムXの生涯を口述筆記した自伝制作が開始された.マルコムXはヘイリーに「この本が出版されたときに私が生きていたら奇跡だろう」と語った.ヘイリーは暗殺から数か月後にこの本を完成させ,出版している.マルコムXの家族およびネイション・オブ・イスラム教団は,ヘイリーが本書で事実の一部を歪曲したとして非難したが,タイム誌は本書を「20 世紀で最も影響力のある10冊のノンフィクション」のリストに加えている.

必然的に語彙の幅が広がり,はじめて本をとりあげて読みはじめることができ,そして,その本がなにをいおうとしているのかわかるようになった.よく本を読む人はみな,開かれた新しい世界を想像できるのだ.そのときから出所するまで,自分の自由時間はいつも図書館で,でなければ寝床で読書していたといってもいいだろう.どんなに妨害されても私から本をとりあげることはできなかっただろう

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Title: THE AUTOBIOGRAPHY OF MALCOLM X

Author: Malcolm X

ISBN: 4122039975, 4122039983

© 2002 中央公論新社