▼『左遷論』楠木新

左遷論 - 組織の論理、個人の心理 (中公新書)

 左遷という言葉は「低い役職・地位に落とすこと」の意味で広く用いられる.当人にとって不本意で,理不尽と思える人事も,組織の論理からすれば筋が通っている場合は少なくない.人は誰しも自分を高めに評価し,客観視は難しいという側面もある.本書では左遷のメカニズムを,長期安定雇用,年次別一括管理,年功的な人事評価といった日本独自の雇用慣行から分析.組織で働く個人がどう対処すべきかも具体的に提言する――.

 事の内示が通達される時期がきた.人事異動命令が不当な権利濫用であり,労働者に著しい不利益をもたらすものと認められないかぎり,企業組織は労働者の同意なしに転勤や配置転換を命じることができる.東亜ペイント事件(最判昭和61年7月14日)で争われたように,人事異動に応じない社員には,懲戒解雇を言い渡すことができる.そこにいかなる喜怒哀楽が伴おうと,忖度の余地はない.コンプライアンス的にも社会的にも,人事異動命令権は強く肯定される.

正社員としての入社は会社共同体の一員になったことにほかならず,どの部署に配属されるか,どんな仕事に就くかは辞令1本で決められる.そして同期入社同士で競争しながら役職の階段を上っていく.しかし年齢を重ねるにしたがって,枢要なポストの数は相対的に減り,さらに組織自体に暗黙の格付けもあるので,誰かが格下の役職に就かなければならなくなる.会社は共同体だから心ならずも格下の役職に異動させられた社員は仲間の視線が気になり,それが左遷された意識をいっそう募らせる

 組織人の宿命である人事は,全社員の最大の関心事といって過言ではない.大手生命保険会社で人事や労務関係,経営企画部門に「配置転換」されてきた著者は,本人曰く,45歳の時に部下の不祥事で降格となり,子会社に出向した.いわゆる左遷である.この言葉は,中国の戦国時代に右側を尊んで上位とし,左側を下位としたところに由来している.菅原道真太宰府左遷,陸軍医として出世街道を歩んでいた森鴎外の小倉左遷など,左遷は組織内の弱肉強食的な生存競争に敗れた負のイメージが強い.もっとも,人事部内では左遷という概念は存在しないことになっている.

 適材適所――その決定には有無をいわせぬ響きがあるのは当然である.著者の生真面目さをうかがわせる文章は丁寧で,無難な筆運びである.「人は自分のことを3割高く評価している」という指摘も,豊富な企業労務経験と冷静な判断力があり,そこに自戒を篭めていることもわかる.一方で,終身雇用(長期安定雇用),年功制賃金を前提とした旧来の企業体質を,左遷の説明要因としたがることは残念.性善説のように,日本の企業も善哉(よきかな)という理想を依然として抱きつづけている.挫折の後に懐柔された人間にはよく見られることだが.

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原題: 左遷論―組織の論理,個人の心理

著者: 楠木新

ISBN: 9784121023643

© 2016 中央公論新社