■「扉をたたく人」トム・マッカーシー

扉をたたく人 [DVD]

 愛する妻に先立たれ,全てに心を閉ざし,無気力な毎日を送っている大学教授のウォルター.ある日,ニューヨークで移民青年タレクと予期せぬ出会いを果たす.ミュージシャンである彼にジャンベを習い始め,二人の友情が深まっていくなか,突然,タレクが不法滞在を理由に拘束されてしまう.数日後,ウォルターのアパートの扉をたたく美しい女性.それは,連絡のつかない息子を案じたタレクの母親だった….

 ステムの「管轄者」の資格を問う映画である.比較的短い尺の作品でありながら,冒頭からラストまで,濃密な物語に移民管轄当局の抱える問題点を巧く配置してある.伴侶に先立たれ,人生をそつなく閉じることを意識して久しい大学教授の人物設定にも無理がない.コネチカット州立大学で,週に担当する授業はわずか1コマ.20年間講義内容は同じ.ここ数年の研究業績は,若手研究者との共著や「監修」ばかりで,実質的には皆無.研究のために充てられるべき時間も,ひたすら無為に流れていく.もはや,日本の高等教育機関では考えられない牧歌的な教員事情ではあるが,そこでの学問の“停滞”は深刻視される必要がある.

 一方ウォルターは,教育者としては学生に毅然とした態度をとる.提出物の期限を守らせ,例外は認めない.厳格な執行者である.そんな彼の心に入り込み,ジャンベの魅力を伝えた好青年タレクが,不法滞在により母国シリアに強制送還させられる憂き目に遭う.ウォルターの必死の奔走も空しく,タレクは合衆国から強制退去させられるのである.信頼関係で結ばれたウォルターとタレクの“挫折”は,元来移民で構成された国家であり,かつては東欧圏からの移民すら有益な「労働力」と認識していた合衆国への根深い不信感を呼び起こす.9.11以後,テロ対策に汲々とする行政対応の非人間性に憤るウォルターの内面的変容の描写が素晴らしい.

 ウォルターがフェリーでスタテン島を訪れた際,自由の女神像が映し出される.女神の足元には,1892年から1954年にかけて多数の移民と難民の人々を収容し,移民クリアランス・センターとして機能していたエリス島がある.現在は失われた機能である.保守的な米国民と南方からの移民,両者を結びつける役割を果たしていたタレクは,脚本上フェードアウトしていき,息子を訪ねてきたタレクの母とウォルターの新たな交流が始まる.だが,それも卒爾として終わりを告げる.国を維持するための機構(システム)が,時に暴力を呈して国民生活を管理する場合がある.20世紀のテーマは,資本主義と社会主義のどちらを採用するかの対決であり,グローバルな基本テーマは資本主義のあり方である――このように言い切ってしまうことは,二項対立の陥穽に囚われる危険が常にある.

 政治体制の異質性への指摘とは違ったアプローチで,移民問題の描き方があったかと感心させられる.人間を結びつける絆や信頼関係は,それぞれの人格の外部に所在する政治・社会・経済「事情」から引き裂かれ,そのような個人の集合体が「国家」であるという客観的事実を,鑑賞者は改めて気付かされるのである.はためく星条旗はぼかされ,画面から消えていく.かつての移民大国,東欧や南欧の人々にも寛容だったアメリカ合衆国の面影は消失し,排除の様相を強めつつあるとの主張が読み取れよう.人の行き交う駅のホームで,無心に,だが怒りを抱えてジャンベを打ち鳴らすウォルターの姿は,忘れがたい.その静けさの中に残る余韻は鮮烈である.

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原題: THE VISITOR

監督: トム・マッカーシー

104分/アメリカ/2007年

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