▼『平家物語』市古貞次〔校注・訳〕

新編日本古典文学全集 (45) 平家物語 (1)

 清盛と平氏一門の興亡を叙事詩的に描いた軍記物語.挿絵(解説付)をはじめ,精密な語注,なめらかな訳文に加え,系図,年表,地図等も充実した,平家物語の決定版――.

 家一門の興亡と無常の命運を紡ぎ出す鎮魂の平曲「祇園精舎の鐘の声,諸行無常の響あり」の句から始まる.東西の古典の中でも,これほど人口に膾炙した局所は珍しい.吉田兼好徒然草』によれば,延暦寺の座主慈鎮和尚(慈円)のもとに扶持されていた学才ある遁世者信濃前司行長,東国出身で芸能に堪能な盲人生仏なる者が協力しあい,生仏の語り口を琵琶法師が口承文芸として紡いだ軍記物語と捉えられている.東山文庫蔵「兵範記」,永観文庫蔵「普賢延命鈔」「普通唱導集」などの出現を鑑みれば,13世紀には物語のプロットが整い,さまざまな改変・増補・削除を経て変遷し「死の万華鏡」を通してあはれをもよおす"必衰"の理と"必滅"の美学を完成させたのである.

 悪業も辞さない権力者平清盛の権勢欲の浅ましさ,清盛の悶死を境に平家衰亡の灯火を点け,父の事大主義を賢く諫める重盛は,老病の苦もなく涅槃の境地で世を去る.宗盛は器と頭脳をもたない暗君と描かれ,壇ノ浦の戦いでも入水を果たせず生捕りの後処刑.しかし家族に対する慈愛の念をもって死に臨んだ宗盛は,誰よりも人間らしい弱さをもつ存在と描かれている.源氏の将義経の首を狙うも敗北し,敵将2人を脇に「おのれら,俺の死出の山路の供をせよ」と,敵もろとも海中に歿する能登守教経の往生の凄まじさ.粗暴で礼儀を知らぬため頼朝の猜疑を招き,義経に追討される朝陽将軍木曽義仲は,滋賀の濱で落ちる戦友今井四郎の姿を彷徨い求めた挙句,今井と二騎となったところを討たれる.

 往生の悲惨,平安宮廷に花開く因果応報の律――平家一門の滅亡後,残党狩りを辛うじて逃れた六代御前は,高尾の文覚上人の奔走が実を結び,高尾にて三位禅師となって仏門に入る.頼朝の死後,文覚上人の謀反の連帯責任で六代御前は召し捕えられ「それよりしてこそ平家の子孫はながくたえにけれ」.年代を追う編年体と共に,司馬遷史記』を彷彿とさせる人物譚の紀伝体を融合させた描写は,動乱を主軸として和漢の故事を織りまぜ和漢混交文体をもって説話風に描き出す壮大な叙事詩武家に生まれついたばかりに深い哀惜の幕切れを引かざるを得ず,その群像が一門の衰微を明瞭に物語っていく.死の巧拙を論じる智慧,人間の因業の深さに思いを馳せずにはいられない.

 清盛が平安京の八条壬生に構えた広大な邸宅「西八条第」跡は,平安京の八条大路以北,大宮大路以西に六町以上を占め一門と合わせて50数戸の屋敷が立並んでいた.清盛が邸内の庭に蓬(よもぎ)を植えたところから「蓬壺」と呼ばれ,清盛の出家後,妻の二位尼時子は邸内に光明心院を営んだ.寿永2年(1183)7月25日,木曽義仲によって平安京から追われる際に,都落ちに際して自ら火が放たれ,邸宅は残すところなく灰燼に帰したという.平安京遷都1200年記念事業で整備された梅小路公園にひっそりと説明版が立つだけで,屋敷跡の大部分は盛り土に被われたまま遺構として残されている.

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原題: 平家物語

著者: 市古貞次〔校注・訳〕

ISBN: 4096580457, 4096580465

© 1994 小学館