「西洋/イスラーム」「文明/野蛮」「テロ/正しい戦争」.自爆テロをめぐる議論は固定化された枠組みに囚われ,思考停止に陥っている.越境の思想家アサドが「文明の衝突」や「正しい」戦争といった従来の議論を超えて,新たな時代の文明論を切り開く――. |
タラル・アサド(Talal Asad)は,「越境の思想家」と呼ばれる文化人類学者である.父はロシア系ユダヤ人でイスラム教徒,また母はサウジアラビア出身で,アサドはインド,パキスタン,イギリス留学を経てポストコロニアリズム,キリスト教とイスラム教の比較研究を専門とする.彼の妻は無神論のイギリス人である.アサドは,異文化の狭間で呼吸をしてきただけに,リベラルと非リベラル,デモクラシーの成熟度に感度の高いアンテナをもつことが窺える.一般市民を殺すために自らを犠牲にしたことが戦慄を呼び起こす〈自爆テロ〉に対して,とりわけ9.11以降のCNN発信映像が強力に世論に与えたのは,イスラム教スンニ派の殉教,豊かな顎鬚のムスリム=狂信的テロリスト,というイメージだった.
イスラム原理主義者と過激派は同質のごとく見なされがちだが,そこに占める過激派はごく少数である.それにもかかわらず,イスラムの脅威と自爆行為の戦慄的イメージは密接不可分なものとして,すでに西欧社会に染み透っている.2006 年 5 月カリフォルニア大学アーバイン校で行われた講演を元にした本書の核心は,なぜ,そのような強大なイメージが西側に定着したかを射程とする論考.第2章で言及される政治学者ロバート・ペイプ(Robert Anthony Pape)の数量データが非常に興味深い.1980年から2001年までに起きたあらゆる自爆攻撃(188件)をデータベース化したペイプは,自爆攻撃とあらゆる宗教――イスラム原理主義を含む――の関係性はほぼないことを指摘している.
自爆を伴うテロを最も多く実行した組織は,スリランカの武装組織タミル・イーラム解放の虎で,このデータベース内では39.8%だった.解放の虎は,マルクス・レーニン主義者の集まりであり,ヒンドゥー教徒の家庭出身だが,宗教に懐疑的な集団である.宗教は,テロ組織によるリクルートや戦略のための道具ではあるが,それよりも自爆テロ計画・実行者の大半は共通して「特定の世俗的かつ戦略的な目標」をもつことに注目すべき,とペイプの研究は示唆している.さらに,2000年代初めまでのすべてのテロ事件で,自爆攻撃を含むものはわずか3%に過ぎなかった.しかし,9.11を除いては,テロ事件の犠牲者の半数が自爆テロの犠牲者なのである.
近代リベラル・デモクラシーは,人間主義と世俗主義を公言している.そして,リベラルたちは,近代ヨーロッパに大混乱を引き起こした宗教的な熱狂から距離をとっている.宗教的な残酷さに付随する中世的な感覚は,彼らに明らかに戦慄とみなされる.しかし,近代の人間主義的な感性の系譜学は,無慈悲さと共感を接続し,残忍な殺害行為が,この上ない悪であると同時に最高の善でありうると主張する.…中略…近代性そのものにも不穏な矛盾があることは明らかではないだろうか.つまり,同情と残酷さとの間の矛盾と,それがリベラルな精神に戦慄を引き起こす力を持っていることは,西洋に特徴的なことなのではないだろうか
アサドは,ペイプの指摘を評価しつつ,自爆テロの標的となるリベラル・デモクラシー国家がもつ「軍隊」に注目すべきと述べる.強大な武力に正面から対峙する力をもたない組織から派遣された者が,生命と引き換えに損害を与える.ペイプは世俗的かつ戦略的な目標,と表現したわけだが,アサドはエピローグで世俗主義が克服した原理主義的な――それゆえ非合理的な――「宗教的要請の暴力的表現」としての自爆テロを西欧社会は理解すること,その文脈での複雑な系譜には,テロ的暴力手段と宗教的要素の結びつきがあることを指摘する.両者の言説は,ともに世俗性を重視する一方,宗教性との比較の面で決定的に深い溝がある.
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Title: ON SUICIDE BOMBING
Author: Talal Asad
ISBN: 9784791764273
© 2008 青土社