▼『エリゼ宮の食卓』西川恵

エリゼ宮の食卓―その饗宴と美食外交 (新潮文庫 に 15-1)

 メニューは雄弁である.仏大統領官邸エリゼ宮の饗宴で供されたワインと料理の中に,ホストである仏大統領のメッセージが隠されているのだから.英女王・米大統領・日本の首相から天皇まで,晩餐会に招待された各国要人は,ワインの銘柄と献立でどう格付けされていたのか?その厨房深くにまで潜入し,フランス食卓外交の奥義を明らかにする,知的グルメ必読のノンフィクション――.

 リのサントレノ通りに面したフランス大統領官邸エリゼ宮殿.2階中央には大統領執務室「黄金の間」,1階東翼端にはナポレオン・ボナパルト(Napoléon Bonaparte)の退位がなされた「銀の間」,国家元首,首相,皇太子などが招かれる公式晩餐会が開かれるのは「祝祭の間」.

 毎日新聞社に入社後,1986年から7年間パリ支局に駐在した著者は,饗宴の在り方に投影された政治的色合いを,本書で解説している.ここでの解釈が十全なものかは解らない.だが食卓外交として,ワインにシャンパーニュ,前菜・メインディッシュ・サラダ・チーズ・ドルチェのバリエーションや格に,政治の極致が隠されていることは否定されないだろう.

 1994年6月7日に公式訪問した米大統領ビル・クリントン(William Jefferson "Bill" Clinton)には,赤ワイン「シャトー・ラクロワ〈1970〉」が供されている.アメリカでは販売実績がなく,知られていないラクロワを振舞うことに,どのような意義があったのか.フランス政府高官は手の内を明かさない“メッセージ”を籠めていた,とも考えられるのである.

ホストの客人に対する親近の度合い,客人の重要度はメニューに当然のことながら投影される.客人の政治的,社会的な地位と格付け,さらには序列といったものも,メニューを決める際の重要な手がかりとなる.惜別の宴なのか,それとも歓迎宴なのか,といった饗宴の性格によってもメニューは違ってこざるを得ない.料理を通して,面と向かっては言えない暗示や討際を相手に送ることもあり得るだろう

 日・英・米・独の官邸でも同様の発想はあるはずだ.このような外交儀礼としての美食――キュイジーヌブルジョワ――に,フランスは政治の暗黙的示唆を投じているのだと理解できよう.そこに美食の地平を抱かせながら,優美な威厳を伴っていることに,美食外交の国フランスの底知れなさがある.

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原題: エリゼ宮の食卓―その饗宴と美食外交

著者: 西川恵

ISBN: 4101298319

© 2001 新潮社