▼『八月の博物館』瀬名秀明

八月の博物館 (角川文庫 せ 4-5)

 あの夏,扉の向こうには無限の「物語」が広がっていた.20年前の夏の午後,ふと足を踏み入れた洋館で出会った不思議な少女・美宇.黒猫,博識の英国人紳士.その奇妙な洋館の扉からトオルは時空を超えて,「物語」の謎をひも解く壮大な冒険へと走り出した――.

 学と科学をどこで切り離し,またどこに接合すべきか悩んでいる印象を受けた.時空と虚構,現実を超えた3つの流れが同時進行し,結末に向かうプロットは新規性を感じさせないが,既存の手法を踏襲しつつ,新たな発見や感動を生み出すことができるはずだ.著者は,前2作『パラサイト・イヴ』『BRAIN VALLEY』において,詳細な科学知識を基にフィクションを盛り込んむ長編旗手として知られた.寡作ではあったが,作品が発表されれば,豊富な取材時間が投入されたことを推察させた.

 残念ながら,本書にはそれが全く感じられない.提起されるテーマは多岐にわたり,「物語の意味は何か」「物語の始まりと終わり」「作者の意図が読者にどう訴えるか」「少年の特異な体験と成長」「小説家としての成功と不安定さ」など,1作品にこれら全てを盛り込むのは難しい.結末は感傷的にまとまるが,全てが収束せずに物語は終わる.小説家の一人称視点のエピソードが挿入され,これは著者自身をかなり投影したものとなっている.

 理系出身であるため,「文系を舐めるな」と批評家に罵倒される箇所も,明らかに作者と共鳴している.理系の知識に頼らないファンタジーに挑戦することでもあり,同時に,自分のストーリーテリング能力を確認したいという欲求もあるのだろう.科学の研究は急速に進展している.研究は進化し,新たな発見が続々と行われるため,常に最新の情報をフォローしなければならない.また,作家としては一つの分野に固執することはできない.しかし,読者は科学者の視点を期待するため,科学から離れることは許容されない.

 それどころか,作者自身も転向を許容しない.つまり,科学の小説を書くほど,自らが素人になっていくというジレンマがある.これに直面した著者は,次第に苦しい状況に陥っていく.本書は,小説家としての自身を追い詰めたものであり,彼のキャリアからは異色の存在に見える.希望的観測でいえば,長い文筆活動の後,通過儀礼として認識される作品になるかもしれない.

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原題: 八月の博物館

著者: 瀬名秀明

ISBN: 4043405065

© 2003 KADOKAWA