▼『烈士と呼ばれる男』中村彰彦

烈士と呼ばれる男―森田必勝の物語 (文春文庫 な 29-7)

 「ここまできて三島がなにもやらなかったら,おれが三島を殺る」三島由紀夫と死を共にした青年・森田必勝は,いかにしてその胸底に死を育て,また三島はなぜ彼を受け入れたのか.異様な生彩を放つ短い生涯を史伝文芸の味わい豊かに描きつつ,遺族,友人などへの丹念な取材により,日本を震撼させた大事件の真相に迫る力作――.

 れた目に低い鼻,野球男児のような幼さを残した人懐こそうな森田必勝は,「ここまできて三島がなにもやらなかったら,おれが三島を殺る」との決意を胸に秘め,三島由紀夫介錯人を務めた直後,自身も割腹自決した.昭和45年11月25日,三島由紀夫は,「楯の会」4人の私兵とともに,自衛隊東部方面総監室で総監益田兼利を人質にとり,1,000人の自衛官の前で改憲を呼び掛ける檄文を飛ばした.「自衛隊を愛すればこそ憲法を改正するため,自衛隊が決起する事を願ったのに,自衛隊はわれわれの希望を裏切った.諸君は自分を否定する憲法を何故守るのだ」と,およそ10分間の演説を行った.

 猛烈なヤジと怒声に演説を邪魔された三島は,自衛隊に失望して割腹自決,介錯後,楯の会学生長森田必勝もそれに続いて自決した.享年25.もっとも,三島の介錯は森田の力では遂行できず,居合の経験者古賀浩靖の手を借りた.左翼革命勢力に対抗するために三島が創設した「楯の会」は,100人以上の会員を持ちながら,三島と生死を共にできる人間は数人に限られていると,三島本人は考えていた.そこに,森田は加わっていた.著者と森田は1つ違いの同世代である.「人生いかに生きるべきか」と悩んでいた自分とは逆に,「いかに死ぬべきか」を模索し続けていた森田の人生に興味が湧いたという.

 森田は,論争ジャーナルや日本学生新聞に寄稿し,後の日本学生同盟を通じて三島と出会い,気に入られて楯の会の学生長に任命された.北方領土に対する抗議のため,森田は貝殻島へ泳いで上陸,日本国旗を立てて日本国民に覚醒を促す行動を計画したことがある.公安に阻止されて成功しなかった.政治家に憧れて早稲田に入り,空手に熱中したこの若者が辿った精神遍歴は何だったのか.三島事件における森田の存在感が,丹念な取材により再検討されている.佐伯彰一林房雄黛敏郎藤島泰輔,保田輿重郎,山岡荘八ら40数人が発起人となって,東京池袋で開催された三島追悼会は,現在まで続く「憂国忌」の原型である.

 三島の友人で作曲家黛敏郎三島事件を「精神的クーデター」と表現したが,日本人の精神が「からっぽ」になってしまったと危機感を募らせる三島に認められ,森田は自分のことを「烈士」と評されることを好んだという.素朴で冗談好きな若者の祖国愛と悲憤慷慨の遍歴と,影の薄い同調者ではなく,毀誉褒貶の激しい人物の実際を知りたいという強い動機の感じ取れるドキュメント.世を震撼させた三島事件は,三島自ら「僕を殺すただ一人の男だ.覚えていてくれよ」と周囲に森田を紹介した,その言葉通りに発生し,破裂した.

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原題: 烈士と呼ばれる男―森田必勝の物語

著者: 中村彰彦

ISBN: 4167567075

© 2003 文藝春秋