▼『今昔物語』福永武彦〔訳〕

今昔物語 (ちくま文庫 ふ 10-2)

 平安時代末期に成ったこの説話集は,おそらく大寺の無名の書記僧が,こんなおもしろい話がある,ほかの人に知らせてあげたい,おもしろいでしょうといった気持ちで集め書かれたと言われている.本書は,大部の説話集の中から本朝の部のみをとり上げ,さらに訳者福永武彦の眼により155篇を選んだ.文学的香り高い口語訳により,当時の庶民の暮らしぶりを生き生きと再現している――.

 文訓読調に和文脈をまじえた文体で「天竺(インド)」「震旦(中国)」「本朝(日本)」の三部に分けて収めた,日本最大の古説話集1,000余.撰者,成立年等について,序跋や奥書もなく,現在も未詳のままである.原拠は『釈迦譜』『日本霊異記』『三宝絵詞』『本朝法華験記』などと考えられる.百科全書的な編纂の成立事情,編者の意図なども未解明であり,南都北嶺の僧侶説,白河院に近侍する僧侶説等考えられているが,真の撰者は確定されていない.

 いずれにせよ,編者が独自の世界観を説話集という形に表現したものと考えられ,古写本は片かな宣命体の表記法をとり,文中には意識的な欠字が頻出している.東アジアの仏教史とさまざまな説話から構成される各説話は,冒頭を「今ハ昔」で始め,末尾を「トナム語リ伝ヘタルトヤ」で結ぶ.本書は,本朝(日本)の挿話――巻十一~巻二十(巻十八は欠巻)――より155篇を精選したもの.したがって,インドの教化と感化,中国にわたった仏教の定着過程の影響を考察することはできない.

 院政期の語彙・語法が豊富に盛りこまれた躍動的な叙述形式で貴族,僧,武士,農民,職人,遊女,盗賊,乞食,鳥獣,さらに霊鬼・神怪にまで及ぶ存在により生死を語らしめ,霊験や因果応報を人生訓とすべきことを印象づける.それとともに,世界観を支配するのは体系的な仏教思想であることを肯定している.11世紀後半,釈迦滅後二千年に"末法"の暗黒の世に入るという終末観思想を受け,仏教伝来から世俗譚への連結に統一感を持たせる構成が認められるだろう.

 現存諸本の祖本は鈴鹿三七氏蔵の鎌倉中期写本である.文献中に登場するのは室町時代の大乗院経覚の日記『経覚私要鈔』――宝徳元年七月四日――が初である.江戸時代の写本は,鎌倉中期写本を祖本としていることが判っているので,平安時代中期までの文学が目を向けることのなかった新しい文学世界を抱きながらも,今昔物語は中世文学に直接的影響を与えることはできなかったと思われる.近代に入り,芥川龍之介が『鼻』『芋粥』『羅生門』で再話文学として発表して以降,文学的価値の再評価として原典も息を吹き返した.

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原題: 今昔物語

著者: -

ISBN: 4480025693

© 1991 筑摩書房