▼『失敗の本質』戸部良一,寺本義也,鎌田伸一〔他〕

失敗の本質: 日本軍の組織論的研究 (中公文庫 と 18-1)

 大東亜戦争における諸作戦の失敗を,組織としての日本軍の失敗ととらえ直し,これを現代の組織一般にとっての教訓あるいは反面教師として活用することをねらいとした本書は,学際的な共同作業による,戦史の初めての社会科学的分析である――.

 東亜戦争における6つの作戦の「失敗」――ノモンハン事件,ミッドウェー作戦,ガダルカナル作戦,インパール作戦,レイテ海戦,沖縄戦――日本軍の「失策」と見た場合,致命的な誤りや弱点が見出されるかを学際的に論じた戦史の社会科学的分析の金字塔.「組織としての日本軍の遺産を批判的に継承もしくは拒絶」を主題とする出版計画の成果であり,タイトルに表れているとおりグレアム・T・アリソン(Graham.T.Allison)『決定の本質』,アーヴィング・L・ジャニス(Irving Lester Janis)『集団浅慮』から意思決定論の多くを学んでいる.とりわけ,政府はあらゆる選択肢を考慮し,効用を最大化するため合理的に行動すると仮定した前者の影響がきわめて大きい.1980年代前半,危機における国家の意思決定や情報処理分析をテーマとした研究会を立ち上げた著者らは,議論を重ねるにつれ,戦略的合理性を欠いた数々の作戦を実施した日本軍の「組織特性」に研究視点をシフトさせた.

いかなる戦闘においても,ある程度の誤断や錯誤は不可避である.むしろ本来,作戦計画とは,実施後に生じるおそれのある誤断や錯誤をも見込んで立てられるべきであった.しかし,日本軍の作戦計画には,そのような柔軟性はなく突進一点張りであった

 ただし,複数の事例研究――6つの作戦の「失敗」――から共通点を指摘し,そこから総合考察を行う「帰納法」を固守するあまり,全体的結論は一般論の域を出ないという限界もまた無視できない.日本軍は科学主義ではなく情緒主義による官僚的組織原理が完成されており,長期戦略を立案する能力が敵軍に劣り,「神明の加護」「神風」など精神論をかざし場当たり的な対処に固執し,情報軽視と情報フィードバックの欠如という傾向が学習棄却(既に学んだことを意図的に手放す)による柔軟性を阻み,戦略・戦術が意図したものと,実際の結果との間にパフォーマンス・ギャップがある場合の適切な修正ができず,自らの戦略や組織を主体的に変革することができなかった.そのような自己変革性をもたないゆえに,組織的欠陥をケアする手立ても見込みもないままに,敗走を重ねた挙げ句,敗戦への途を辿ったのである.こうした論調から,本書のオリジナリティを見出すことはできない.

 一方,前出の『決定の本質』で政治学を基盤としながら,経済学,組織理論,論理学などの学際的分析により,政治-行政組織における意思決定モデルを提示したT・アリソンは,合理的行為者,組織過程(組織行動),政府内政治という3種類のモデルで国家安全保障のパワー・ポリティクスとして「キューバ危機」の実証解明を試みている.旧ソビエトキューバに核ミサイルを配備した事実に対し,長期的な戦争リスクを低下させるには,短期的に戦争リスクを高める必要があると判断した当時の米大統領ジョン・F・ケネディ(John Fitzgerald Kennedy)でさえ,「究極の決定の本質は,観察者には――しばしば,実際,決定者自身には――理解できないままである」と考えていた.人員や資源を動員して戦況を有利化するための選択と決定は,それほど極限のなかで実行されるということだ.6つの作戦の「失敗」は,敵国の演繹的な戦略アジェンダにより,当時の日本軍は打破られたことを意味しており,別のパワー・ポリティクス事案としてキューバ危機の分析を行ったT・アリソンの研究枠組みも,演繹的だったことは注目される.

 手法的限界はあるものの,敗戦国日本が終戦から40年後にやっと出した「戦後日本の科学者と史家による『敗戦要因』の自己分析」の範疇を遥かに超え,本書は「当時の政府による目標の検討・効用の評価・合理的選好」のプロットを社会科学的に分析しようとする意欲に溢れている.6人の著者と専門領域は,戸部良一(政治外交史),寺本義也(組織論),鎌田伸一(組織論),杉之尾孝生(戦史),村井友秀(軍事史),野中郁次郎(組織論).1984年にダイヤモンド社から刊行され,驚異的ベストセラーを続ける本書は,現代に通じる「集団同調性」「正常性バイアス」に凝り固まった日本的組織を「特定のパラダイムへの固執」――三章「失敗の教訓」――と的確に描写していて嘆息したくなるだろう.日本軍の組織的特質は,数々の決定的失策を招き続けたが,学習棄却を恐れずに自己革新を促す新たな認識枠組みやパラダイムの創造,巨大な組織活動としてそれを実現・維持できた成功例(Good Practice)など,愕然とするほど脳裏に浮かばないからである.

日本軍が特定のパラダイム固執し,環境変化への適応能力を失った点は,「革新的」といわれる一部政党や報道機関にそのまま継承されているようである.すべての事象を特定の信奉するパラダイムのみで一元的に解釈し,そのパラダイムで説明できない現象をすべて捨象する頑なさは,まさに適応しすぎて特殊化した日本軍を見ているようですらある.さらに行政官庁についていえば,タテ割りの独立した省庁が割拠し日本軍同様統合機能を欠いている

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原題: 失敗の本質―日本軍の組織論的研究

著者: 戸部良一,寺本義也,鎌田伸一,杉之尾孝生,村井友秀,野中郁次郎

ISBN: 9784122018334

© 1991 中央公論新社