▼『賭博と国家と男と女』竹内久美子

賭博と国家と男と女 (文春文庫 た 33-2)

 君主はそもそも賭博の胴元だった?一夫多妻社会では文化が創造される!好色な男は組織の指導者として最高だが,恐妻家の男が国家のトップになると国が滅びる‥‥文化,階級社会,そして男と女の力関係の謎を利己的遺伝子(セルフィッシュジーン)と“賭博”をキーワードとして快刀乱麻に解き明かした,アッと驚く国家の進化論――.

 なる遺伝子の乗り物(ヴィークル)を,生物種の一つであるヒトも体現しているに過ぎない――リチャード・ドーキンス(Clinton Richard Dawkins)のいう"利己的な遺伝子"の立場が,本書の基本的視座にある.遺伝子を後世に伝えるための戦略的ロジックが,それまでの種全体論では説明できなかった利他行動,同種族間の殺害行動などを説明できるフレームを与えた.

ダーウィンの時代にはまだ遺伝学が成立していなかった.彼は淘汰の単位を固体にあると考えた.これを引き継いでハミルトンは淘汰の単位は遺伝子であるとした.つまり,群や種の単位ではなくということである.これがリチャード・ドーキンスの利己的遺伝子(セルフィッシュ・ジーン)仮説につながっていく.本当に利己的なのは固体ではなく遺伝子だということ.遺伝子の願いは自らのコピーを作ることであり,他との強調もその方が遺伝子のコピーにとって都合がよいからだということである

 カイ二乗検定すら忘れてしまった「元科学者」を自認する著者が,アカデミックな視点を一般に敷衍し拡大解釈しアクロバティックに持論化している.たとえば,脚の長い男性やウエストがくびれた女性が異性を惹きつけるのは,寄生虫を腹の中に飼っている可能性が低いためである.好色であることと政治家としての資質の関係.土地を賭けて争った権力者階級の末裔が,君主を生んだのではないかという賭博と君主制の関係.家族のような小さな社会集団では恐妻家,国家のような大きな社会では好色家のような指導者が適任.

戦争における身内のためのものから国家のためのものへの転化.血縁や身内以外のために戦うための論理の用意という考え方.友情や隣人愛.それを後押しするものとしての教育.人間を集団で扱う以上,それは必然的にそういう要素を持ち,ゆえにそれに自覚的であることもありえる

 大胆不敵な論理展開は,行動生態学のみならずジェンダー論からみれば噴飯ものだろう.「すこぶるいいかげんなことを書いて日々の糧を得ている元動物学者」と開き直ることに,科学的題材のエッセイとしてのユーモアを感じる.これに目くじらを立てる必要はない.全篇にわたり,自我をもたないセルフィッシュ・ジーン(利己的遺伝子)の観点で,人間社会の在りようを捌いてみせる気風が面白い本.

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原題: 賭博と国家と男と女

著者: 竹内久美子

ISBN: 416727003X

© 1996 文藝春秋