▼『弓と竪琴』オクタビオ・パス

弓と竪琴 (岩波文庫)

 「ポエジーは認識,救済,力,放棄である.世界を変えうる作用としての詩的行為は,本質的に革命的なものであり,また,精神的運動なるがゆえに内的解放の一方法でもある.ポエジーはこの世界を啓示し,さらにもうひとつの世界を創造する.」メキシコのノーベル賞詩人パス(1914‐98)畢生の一大詩論――.

 キシコ出身の詩人オクタビオ・パス(Octavio Paz)は,ラテンアメリカのみならず,シュルレアリスムに親しむ仏文系の詩人からも尊敬を集めた文化人として知られる.パスは批評家でもあり,外交官の顔ももっていた.外交官としてフランス,アメリカ,スペイン,スイス,インド,日本にも赴任したが,パリで出会ったシュルレアリストブルトンやペレ)の影響を受けている.

 T.S.エリオット(Thomas Stearns Eliot)のような古典主義的詩論を模索したところを見ると,これが詩人としての一つの出発点だったといえるだろうか.同時に,東洋哲学,タントラ美術,古代インド神話などからの吸収は,脱西洋的なポエジーを意識する礎になったことは明らかだが,1968年のメキシコ・オリンピックの直前,反体制派の学生たちが政府に虐殺されたこと――トラテロルコ事件――に憤り,インド大使の職を辞した.そこから言葉とイメージを仲介する想像力の詩作に深く入り込む.

 転回は,1968年の事件が決定的な理由というより,現実政治に対する失望的確信が深まったからであった.23歳の時にチリの革命詩人パブロ・ネルーダ(Pablo Neruda)とともに,反ファシスト作家会議に参加したパスは,独ソ協定の成立に政治的挫折を感じた.彼はネルーダの詩を海の水に喩え,「混濁し,力に満ち,夢遊病のような,形の定まらぬ水」と表現している.願望が人間と現実の間に架ける橋,それを本書でパスは「イメージ」と定義づけ,人間と願望の隔たりから生まれる現実の渇望を「詩」と呼ぶ.

人間は未完のものである.もっとも,その未完性において完全でありうるが.それゆえ人間は詩を,イメージを作り,その中で,決して十全には成就されることはないが,自分自身を完全に表現しようとするのである.彼自身が詩である――彼は常に,完全な存在となる継続的な可能性の中に置かれた存在であり,そうすることによって,自らの未完性の中で自らを成就しているのである

 そこでの詩句は,リズムであり,――永遠に再創造されていく根源的な時間を含んだ――生きた具体的な時間であり,散文とは違った秩序をもつ,とパスは考える.前衛的な文学運動からのポエジーを通した,根源的な孤独や不条理に達する彼岸を彼は探求した.そのような詩的行為の本質は革命的であり,抒情的な意味にとどまらず,「認識,救済,力,放棄」の啓示的ビジョンを描き出すためには,現実政治に憤り失望する経験を必要とした.

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Title: EL ARCO Y LA LIRA

Author: Octavio Paz

ISBN: 9784003279717

© 2011 岩波書店