▼『鏡が語る古代史』岡村秀典

鏡が語る古代史 (岩波新書)

 中国の皇帝が邪馬台国卑弥呼に贈った「銅鏡百枚」.日用の化粧具のほか,結婚のしるし,護符,政権のプロパガンダなど,さまざまに用いられた古代の鏡は,どのようにつくられ使われてきたか.鏡づくりに情熱を注いだ工匠たちの営みに注目しつつ,図像や銘文を読み解くことから,驚くほど鮮やかに古代びとの姿がよみがえる――.

 都大学人文科学研究所の共同研究「中国古鏡の研究」を主催した著者は,押韻や仮借に留意しながら前漢から西晋までの古鏡の銘文を整理,訳注を付す膨大な作業を手がけている.古墳文化直前の日本では,中国の先進的な宝器に敬意を払い,漢や魏の鏡がそこに含まれていた.春秋戦国時代,漢鏡,唐鏡,宋元鏡とそれぞれ特徴をもつ古鏡は,幾何学文様で飾った直弧文鏡,狩猟文鏡など意匠が凝らされ,在銘のものは多く祥句,故事が書かれている.

古代の銅鏡に関心がもたれるようになったのは,いまから1000年も前にさかのぼる.中国のルネサンスといわれる北宋時代(960~1127),文人官僚たちは古代にならった儀礼制度への改革を進めるため,地中から掘り出された古代の銅器や石碑を珍重し,そこに刻まれた文字を研究するようになった.それが金石学のはじまりである

 意匠や吉祥句には,古代人の形成した世界観や思潮をうかがわせるものが多く,さらに器物の変容から思想の変遷を辿る観点から見逃されてはならないのである.470例の銘文――検討した銘文はその数十倍に及ぶという――の訳注には脱帽するが,伝統的な考古学および形式学を痛烈に批判した反右派闘争――文化大革命期の大衆政治運動――「人間の探求をめざす考古学」に大いに共感を覚えた,という記述は不可思議としかいいようがない.

『国の大事は祀と戎にあり』(『春秋左氏伝』成公13年条)といわれたように,祭祀と戦争は古代国家の根本であり,その礼楽器と武器・車馬具は青銅でつくられた.青銅器が古代国家を維持するもっとも重要な資財とされる所以である.しかし,銅鏡は礼楽器より早く出現したとはいえ,殷周時代の作例はあまり多くない.また,儀礼について記した『礼記』や『儀礼』などの儒教経典には,青銅の酒器・食器・炊器・楽器などにかんする記述が豊富にあるが,祭祀儀礼において鏡はほとんど用いられていない

 古代の鏡を観察しなければ,鏡に彫琢された銘文の抒情性や図像文様の意匠からみる精神性を考察できるはずもない.反右派学生より「ただ器物だけを見て人を見ない俗流の進化史観」と猛批判された伝統的考古学の研究者(北京大学)がいたというが,器物変化と人間の思想変遷が互いに無干渉と断定できる進化史観などありうるのだろうか.人間の精神世界を明かす資料として鏡の図像と銘文をとらえる研究立場ならば,詭弁と甘言の見分けがつかないはずはないだろう.

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原題: 鏡が語る古代史

著者: 岡村秀典

ISBN: 4004316642

© 2017 岩波書店