▼『日本共産党の戦後秘史』兵本達吉

日本共産党の戦後秘史 (新潮文庫)

 冷戦期1950年代初頭,共産党朝鮮戦争下のソ連・中国を支援する役目を負って日本国内を混乱させようと試みた?外で中ソに媚び,内で絶え間ない権力抗争.結党以来,実はこの醜悪な原理のみに従ってきたと見る立場から,著者は党の"国民そっちのけ"の実像を告発する.警官殺傷事件などが頻発した「極左冒険主義」時代の活動ほか,元有力党員だからこそ書けた衝撃の記録――.

 い古された表現「青年期にマルクスにかぶれない奴は馬鹿,ずっとマルキシストでいる奴は大馬鹿」.共産主義というグレート・イデアは,必然的に事実を理論に沿わせて理念を壮大に構想した.事実からの「出発」とはいい難い内部組織の論理に触れた著者が,戦後再建期以来の日本共産党史を述懐.コミンテルンの日本支部として始まった政党の闘争と排撃の体質を,「醜悪な原理」とまで呼び糾弾している.同党で議員秘書を長く務め,ロッキード事件リクルート事件北朝鮮による日本人拉致問題に関与してきたが,突如として党から「除名」されたと吐露している.査問により指導部の意に沿う自白を引き出すまで,監禁と脅迫が繰り返される恐怖.

 一人ひとりの党員は,貧困や不平等という資本主義の矛盾を是正する純粋な理念に燃えている.しかし興味深いのは,戦後の共産党員の構成.指導者層を形成する立場,被差別層に属するとされた立場と棲み分けされていた.共産主義の統治システムは,洋の東西を問わず厳然たる階級制であり,それが全体主義と恐怖政治へのパスを作る.無論,国民は党のスローガンと実態に疑義を抱き,政治体制の改革を求めるようになるが,国家的共産主義はいかなる形であれ,党派対立や異論を容認することはない.よって査問と粛清が猛威を揮うことになる.宮本顕治らによる小畑達夫リンチ殺人事件などのタブーにも果敢に切り込む本書は,党の正史が抹殺してきた「基本的事実」をサーベイしている.

 怨嗟に狂ったわけでなく,比較的冷静に筆は運ばれている.先進資本主義国における共産思想は,影響力を潜めてはきたが,もちろん無毒化したわけではない.社会主義及び共産主義という人類の壮大な実験は,冷戦終結によって潰えたとリバタリアンは考える.その失敗は,人間の知性を圧殺することでの生産性の低下,硬直した官僚制度と政治の癒着による社会制度の劣化,人々の科学と芸術に対する熱意の剥奪にある.これらにより,「社会の創造力を窒息」させたのである.

千年,二千年単位で構想されたマルクスの世界観にとって,ソ連・東欧の失敗は序曲にすぎない.共産主義を求める波は今後も繰り返し訪れる *1

 人間の創造性を発揮できるのは,少なくとも共産主義ではなく民主主義体制にある.中央当局が不磨の大典の如く唱えた「科学的真理」の誤謬を,ズビグネフ・ブレジンスキー(Zbigniew K. Brzezinski)はかつて予言的に分析してみせた.しかし求心力を失っても,本書のいう「醜悪な原理」は維持されている.陰惨な暴力を行使して,異なる立場を痛罵,排除,抹殺する正当化の論理――本書が声高に主張するのは,幻想を謳い幻滅を導く政党の論法である.実体験による採録とみてよいであろう.

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原題: 日本共産党の戦後秘史

著者: 兵本達吉

ISBN: 9784101362915

© 2008 新潮社

*1 『朝日新聞』2010年8月23日