▼『三世沢村田之助』南条範夫

三世沢村田之助: 小よし聞書 (文春文庫 な 6-15)

 幕末から明治にかけて「どんな美女よりも女らしく美しい」と言われた歌舞伎の名女形・三世沢村田之助.天賦の美貌と抜群の技芸で人気絶頂だった田之助を思いがけぬ悲運が襲った.壊疽のために両足,両手指まで失ってもなお舞台に執念を燃やす田之助と,酷薄な彼をひたすら支え続けた陰の女・小よしの生涯――.

 浜市立大学医学情報センターには, ヘボン式ローマ字創始者ジェームス・カーティス・ヘボン(James Curtis Hepburn)のレリーフがある.描かれているのは,一世を風靡した名女形・三世沢村田之助の壊疽に処置する場面で,下腿切断手術である.田之助は,髷・襟・下駄などが模倣されるほどの人気を誇った女形であった.男性が女性に扮する優美で嫋やかな演者は,芳沢あやめ中村富十郎瀬川菊之丞,近代の六代目中村歌右衛門が代表格である.田之助も歌舞伎芸術の断面を切り取る貴重なアイコンであるが,運命の悲劇性は稀有であった.

 ヘボンの施術により一命を取り留めた彼は,活人形師松本喜三郎が製作した義足で舞台復帰を考えるが,失敗に終り,メリカ・セルフォ社製の義足で演者となる.美貌の役者が片足を喪った評判は,大衆のアポテムノフィリア(四肢切断嗜好)を刺激する.特に若い女性の間で人気は沸騰,似顔絵は空前の売上を見せた.世に出る前は男色家の上野寛永寺明王院住職の後盾を得る代わり,若い肉体を与えた.女人の支援を受けられるようになるまで,少年俳優は裕福な男色愛好者に体を委ねることが常態化していたので,田之助が特別だったわけではない.

 田之助は芸と風姿の美しさに反し,人間性は歪んでいたという.16歳で立女形,19歳で千両.だが才を発揮する舞台の引立てには莫大な財がかかる.財力が尽きた住職を田之助は冷酷に突き放し,足蹴にさえかける.その後は淫蕩家となり,数多くの女性を弄んだ.右脚切断後も,不幸にも壊疽は再発・進行し,左足の膝から下切断,右手の手首から先切断,左手は小指以外の四指切断.そんな彼の傍にいられることのみに無上の喜びを感じる陰の女・小よしは,岡部章吉という人物が取りまとめた「聞き覚え」で初めて存在が確認された.

 そのような内助が実在したかは疑わしいが,岡部の記述は,歌舞伎の史料に出てこない田之助の行状を詳しく語るもので,その比類なき妖艶さの源泉は,生まれながらの色気と極端な自己愛に求められるとの理解を強める.総体として,田之助のグロテスクな退廃美が,様式美の相に支配される女形の特異性に溶け込んでいる.田之助は,化粧による鉛毒が脳に達し,33歳で発狂して死んだ.1818年に鹿児島に建てられた墓から,下腿義足が一本見つかったというが,実際に田之助が用具としていたかの確証は得られていない.

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原題: 三世沢村田之助―小よし聞書

著者: 南条範夫

ISBN: 4167282151

© 1992 文藝春秋